前置きが長くなりましたが、以下、写真で加工内容を説明します。 4-2 公式側の配管 キャブからコンプレッサに至る部分のランボード下方には以下の配管を取り付けてあります。 a. キャブ(蒸気分配箱)から調圧機を経てコンプレッサに至る配管 b. 調圧機に接続される高圧頭作用管及び低圧頭作用管 c. 元空気溜め管(途中に締切コックを取付) e. ブレーキシリンダー管 f. ドロダメから火室ノド板留弁に至る配管 また、北海道の蒸機に特徴的にみられるテンダ水温め管をランボードに沿って配管しています。この配管はコンプレッサの前方でコンプレッサ排気管と3方コックで接続され、キャブ下を通りテンダに向かいます。コックはロスト製の締切コックを使用しましたが、もう少し大型のパーツにするべきでした。また、速度系ロッドを追加してあります。 キャブ下に取り付けたのは以下の配管です g. 元空気ダメ管から空気分配弁に至る配管 h. 列車ブレーキ管からうず巻きチリ取りを経由し空気分配弁に至る配管 i.キャブから空気分配弁に配管される作用管 これらは奥側から手前側に、取付手順をよく考えながら取り付けていく必要があります。なお、前述のように空気分配弁を従台車との干渉を避けるため実機よりも上方に取り付けましたので分配弁上方のスペースに余裕がないため配管は実物通りには接続されていません。また今までの作品では取り付けていた無動力改装装置も省略しています。速度計ロッドは0.3㎜の真鍮線でキャブ側と動輪側の本体部(ギアボックス等)は帯板、真鍮線、輪切りにした真鍮棒から自作しています。
4-3 非公式側の配管 非公式側のキャブから給水ポンプに至る部分のランボード下方には以下の配管を取り付けてあります。なお、キットに付属していた.2子3方コックは長さの短いタイプでしたが、配管が従台車を避けるため実機より上方に配置されるため、バランスを考慮して長いタイプに交換してあります。 a. 給水ポンプに接続される蒸気管と排気管 b. 給水ポンプから消火栓を介して給水温め機に至る配管(ロストワックスパーツ) c. 給水ポンプからチリコシを介してテンダーに至る配管(布巻管) d. 2子3方コックから前方に向かうレール水撒管及びタイヤ水撒管 e.2子3方コックから水撒インジェクターに至る配管及び水撒インジェクター蒸気管 f. 水撒インジェクターから下方に向かう排水管 g. キャブからの注水機溢れ管 h. キャブからの排水管 i. キャブから給水ポンプ方向に向かう作用管2本 この中で実機の排水管はキャブからほぼ真下の方向に向かうものがありますが、今回は従台車との干渉を避けるため後方に曲げて配管してあります。この部分の布巻管は以前発売されていた福原金属製の布巻き管を使用しています。真鍮線に薄板が巻き付けてあるもので、実感的ではありますが、曲げの部分で巻いてある板がずれて巻き乱れが生じますのでをの部分はうまく修正してハンダで固定しておくことが必要です。またランボード下には上方の発電機から伸びてくるドレン管を取り付けてあります。
以降、部位別に加工部分を説明します。 1. フロントエンド まずは前方、全部デッキと煙室付近の加工です。今回はデフレクタより前方のフロントエンドについて説明します。 1-1 デフレクタ デフレクタは珊瑚模型店製のD 51,D61用の北海道用デフレクタです。このパーツはエッチングで表面と裏面の補強用帯がエッチングで表現されている板状のパーツで、外周は自分で切り抜く必要があります。またバイパス弁の点検穴は表現されておりません。このバイパス弁の点検口はいつ頃から開けられるようになったかは不明ですが、晩年の機体では点検口がある方が一般的だったという印象がありますので今回の機体にもこの点検口を設けることとしました。北海道型を特徴づける切り詰めデフの全てに点検口が開いているかはわかりません。ただ、蒸気機関車の角度には福知山区に所属していた切り詰めデフを装備したD51 727の写真が掲載されており、この機体のデフはカバーがついているものの、常時開口してはおりません。このD51 727は切り詰めデフであるとともに集煙装置とドーム後部に重油タンクも装備しており、そのうち特定ナンバー機としてどこかで模型化されそうな形態です。このように、前方を切り欠いたデフは、北海道固有の改造ではなく、道外でも積雪のある地域では実施されていたようです。 話が脱線してしまいますが、最近のMärklin社のカタログを見ていると、プロトタイプの説明の中に、どの時期の外観かが特定した形で記載されています(”The Locomotive looks as it did around 1965”とか)。欧州のモデルは以前からメーカーに関わらずすべての製品に年代区分(Era I-VI)の表記がありますが、最近このような表記が増えてきた気がします。欧州の製品も最近細密度が向上していると感じますが、日本とは生産数量が大きく異なる量産モデルでこのような表記が増えた背景にはユーザーの細密化指向があるのでしょうか、あるいは形態を細分化?してユーザーに購入を促す販促対応なのでしょうか。 話をデフレクタの話の戻します。下の写真はデフレクタにバイパス弁点検口を開けているところの写真です。写真はは厚さ0.1㎜の真鍮版を縁取りの大きさに切り抜きデフレクタに半田付けし、その後点検工を開けているところです。この際、縁取りとする0.1㎜の真鍮版は0.3㎜の真鍮版に貼り付けた状態で切り抜き外形を仕上げた後デフレクタに貼り付けています。厚板に貼り付けなくても細かいノコ刃を使えば外形の切断はできないことはありませんが、0.1㎜の板ともなるとノコ刃が少しでも引っかかると変形しますし、ヤスリがけも難しいため、手間はかかりますがこのような方法が必要です。穴あけ終了後は外周を切断し、上部をバイスに挟んで折り曲げます。なお、このような真鍮工作を行う際、その出来栄えを決めるのは9割が罫書きの精度だと思います。決して定規の目盛を頼りに罫書き針で罫書きを行うのではなく、前回紹介した工具の中のあるけがき用のスプリングデバイダに寸法を写して板上にマーキングし、その後罫書き線を引くことが必要です。なお、このデフレクタの取り付けはデフレクタに隠れる部品の取り付けが終わった後になります(加工工程のほぼ最後になります)。
前回のデジタル制御に関する記事の中で、映像に挿入される音楽について少し触れましたが、今回は映像に挿入される音楽以外も含め、鉄道と音楽について感ずることを記載してみたいと思います。とは言っても私は根っからの『理系人間』であり、音楽(音楽史)等を学校以外で学んだことはほとんどありません。ただ、子供の頃から家の中には音楽が流れていることが多かったため、子供の頃から比較的音楽は身近な存在であり、学生時代から音楽はよく聴いていました。当時から音楽のジャンルは問わず、なんでも聴いていたように思いますが、最近は歳のせいかクラシック音楽を聴く機会が増えたような気がします。 最近日本では鉄道開通150年が話題となりましたが、クラシック音楽の本場?である欧州大陸のドイツに鉄道が開通したのが1835年ですのでもうすぐ開通190年となります。私が学生時代の1985年がドイツの鉄道150年で、その時現地では保存されている歴代車両(レプリカ含む)のパレードが行われ、日本でも結構話題になりました。日本でも鉄道150年のイベントは各所で行われましたが、日本ではそのような保存車による大きなイベントができるような環境は全くなく、少し残念に感じたものです。それはさておき、ドイツで鉄道開通した1935年、流石にバッハやベートーベンはいませんでしたがシューマン、ブラームス、リスト等の作曲家の生きた時代には鉄道は確実にあったことになります。このように考えると一口にクラシック音楽と言ってもそれが制作された時代は長期にわたっており、現在我々が親しんでいる楽曲の中にも鉄道開通後に創作されたものが多くあるということがわかります。Wikipediaによればシューマン(ロベルト)の活動期間は〜1856年、ブラームスは〜1897年、リストは〜1886年である一方、ドイツでは1855年には鉄道営業キロが8,000kmに達していたようですので、この時代の作曲家と鉄道の接点は確実にあり、彼らは演奏旅行等で鉄道も利用したのではないかと思われます。下の写真は1863年から1871年にかけて製造されたthe Bavarian State RailwaysのClass B VIと1880年から1895年頃の客貨車のMärklin製のモデル(337975+#43985)ですが、彼らもこのような列車に乗車したり、眺めていたのでしょうか。ちなみにMärklin社が鉄道模型を最初に製造したのは1891年、Oゲージモデルの製造が1895年とのことですので、ブラームスの活動期間の最後の頃になるようです。