1974年に製作したEF64を紹介させていただきます。
この作品はしなのマイクロ社製のキットを組み立てたもので私にとって初めて真鍮製キットを組み立てた作品になります。
<実物について>
EF64は当初板谷峠に配置されましたが、その後中央線に転属し、新製車と共に中央東線で活躍していました。しかし当初の運用は高尾以遠での運用が主体でしたので東京都内では殆ど見る機会がありませんでした。
その後、EF13に代わり新宿発の客車列車の牽引に充当されるようになるとともに成田空港の工事開始にともない成田空港への採石運搬列車に使用される等、高尾以東でも次第に見る機会が増えてきました。また、夏休み等の多客期には臨時客車急行のたてしな号にも運用されていました。この作品はそのような時代に作った作品です。
まず、その当時の実物写真を少し紹介させていただきます。
<模型について>
写真の元箱の値段は消してありますが、鉄道模型趣味308号(74年2月号)のしなのマイクロの小さな広告によれば、価格は¥3800だったようです。その広告の中にはEF18キット(¥4800ー¥4950)、キハ65キット(¥2900)、DD16エッチングセット(¥2500)等が載っています。この号にはトビー模型店の8620やつぼみ堂模型店のクモユニ81、ED25などの広告が載っていますが、そのような今はなき老舗模型店の中で当時しなのマイクロはそれらの模型店とはちょっと違う感じの新興メーカーであったように記憶しています。その広告には「古き良き時代のCraftsman-shipの香りを求て・・・手のかかる製法にあえて取り組みます」というようなコピーがありました。またこの号には同社製のDD16エッチング板の組み立て記事が掲載されています。
このキットは私にとっては初めての真鍮製キットの組み立てでした。したがってまずは工具集めから開始です。同時鉄道模型趣味の別冊に日本型蒸気機関車を作るという本があり、その中の記事に「真鍮工作はやってみれば簡単だ。まずははじめてみよう!」的なコラムが載っており、それも真鍮工作開始の決断のきっかけになったと記憶しています。
工作開始当時はまだDIYが一般的になる前の時代でしたので、糸のこ、ハンドドリル、ニッパー、ペンチ、ヤスリ等を模型店や町の金物屋さんで購入しました。その時に買った糸のこの弓(多分¥100でした)はいまだ現役です。最後は親に塩化亜鉛を近くの薬局に買いにいってもらいました(購入には書類が必要で私はまだ未成年でしたので)。これで準備完了、いよいよ工作開始です。
キットはエッチング主体の車体キットですので、他にパーツが必要です。台車はカツミのEF70用、パンタグラフはカツミPS16といったところが主なパーツです。
動力装置はインサイドギアにDV18-C、ライト切り替えはセレン整流器という当時の定番です。ただ今回の写真撮影時にはライトと動力装置は取り外してあります。
車体は折り曲げ済みでしたが窓の加工等はエッチングで行なわれており、乗務員ドアやその下のステップもエッチングにより段差が表現されていした。またHゴムはエッチングパーツを貼り付ける構造になっていました。
何分にもはじめての真鍮工作ですのでキットの説明書通りに組みましたが、前面のおでこの部分にように今であればロストワックスパーツ等で構成する部分に対してもパーツ等は同梱されておらず、説明書に従って当時の自作記事のように切込みをれて折り曲げながら曲面を構成し、ヘッドライト部分も含めてハンダで仕上げることが必要でした。そのためヘッドライトの庇を後からつけようと思ってもハンダが溶けてしまい、全く歯が立たずに止むなく省略することとしました。
当時私は高校生で熱膨張についての知識はありましたが、真鍮にはんだごてを当てると真鍮線があっという間に伸びるのを目の当たりにして驚いた記憶があります。
箱に私が書いた記載だと購入が1973年12月末、完成が1973年3月初旬ですので工作期間は約3ヶ月だったようです。
なお、塗装は当時のものではなく、一度塗り替えてあります。またその際にスカート周り等、多少ディテールを追加してあります。
出来栄えはご覧のとおりでお恥ずかしい限りの代物ですが、キット自体の設計はよくプロポーションを捉えており、旧型客車自作のペーパー製旧型客車をけん引させて楽しんでおりました。