模型車両の紹介:奥羽本線のED75 700番台

今回紹介する車両は奥羽本線を走ったED75700番台の模型です。しなのマイクロの車体キットを組み立てた作品で1979年ごろの作品です。

ED75は電気暖房を使用する線区で使用される交流機のいわば標準機といった存在で、勾配区間である奥羽本線福島米沢間、亜幹線の磐越西線、仙山線以外の東日本(50Hz区間)で使用されていました(300番代は除く)。そんなED75の中で700番台は奥羽本線用に製造された最終グループになります。この最終グループの機体は他のED75とは異なり、屋上機器を室内に移すとともに下枠交差型のパンタグラフを採用しており、車体前面の運転台窓下の飾り帯が塗装となり光沢が無くなったこともあり、比較的遠くからでも割と容易に識別が可能です。この700番台は製造当初は奥羽本線のみで運用されていましたが1980年ごろから東北本線でも運用されるようになりました。ただ配置両数は少なく、民営化の少し前までは奥羽本線内での運用が主体でした。

東北本線南福島駅付近を旧型客車で組成された普通列車を牽引して走るED75700番台(1985年ごろ).

車体はしなのマイクロ製の車体キットで製作時期は1979年ごろです。当時しなのマイクロからは電気機関車のキットが数多く発売されており交流機はこのED75をはじめED77,ED78,EF71,北海道で活躍したED76 500番台と、東日本(50Hz)区間で活躍する形式は全て発売されていましたが、このED75はその中では比較的後期に発売された形式だと記憶しています。これらのキットはほぼ同一の構成になっており、私はこのED75を製作する前にED78,EF71を組み立てていましたので組み立てはスムーズに進みました。ただ、これらのキットは貫通扉、エアーフィルター等が肉厚のドロップ製ですのでハンダを流すためには固定したい部分(パーツ)をハンダを盛った100Wのハンダゴテで十分加熱して十分熱を与えることに注意が必要でした。この加熱ではただコテ先で熱を与えるのではなくパーツとコテ先の間に溶けたハンダを介在させて接合部にに十分熱を与えることが重要です。


車体はキットをほぼそのまま組んであり特に細密化は行なっておりません、別に購入したパーツはロストワックス製の電暖表示灯、エアーホース程度です。なお、電暖表示灯は縦長の台形形状をした新型タイプです。なお、パンタグラフは製作当初はフクシマ模型のPS103をつけていたのですが破損してしまったため最近入手可能であったTOMIX製のPS102に交換しました(実機はPS103です)。今までのパンタグラフは碍子とアングル状に曲げられたパンタ台を挟んでネジとナットで固定していましたが、今回使用したパンタグラフはネジ穴がなく取り付け部には固定用の軸が出ているだけでしたので、その軸に今まで使用していた碍子と軸を挟み車体のネジ用の穴に差し込みエポキシ系接着剤で固定しました。この際、接着で固定することには多少の抵抗があったのですが下手に追加工するより綺麗に仕上がると思い、製作当時と異なり今は実物の車両のドア等にも接着が多用されているのだからという屁理屈をつけて接着で固定してしまいました。

パンタグラフの取り付けは車体のパンタグラフ取り付け穴から出てきたパンタグラフの取り付け軸をエポキシ系接着剤で固定しました

なお、製作当時でもフクシマ模型のパンタグラフはかなり高額だったと記憶していますが現在の同等品も非常に高価で、この真鍮製車体キットの価格を上回ります(この車体キットの価格は¥6,500でした)。今回は交換のためにその金額を出すことに抵抗があったため今回はプラ製のパーツを使用することにした次第です。ただ、このプラ製パーツについては色々考えさせられることがありました(詳細は後ほど)。

台車は別売されていたしなのマイクロ製の台車ではなく、当時発売されていた宮沢模型製のダイキャスト製の台車を使用しています。当時宮沢模型は標準型のED75を発売していましたので多分その製品に使用していた台車だと思われます。当時別売されていたしなのマイクロ製の台車は真鍮ドロップ製で、本体とブレーキシュー部分が別体となっており両者を貼り重ねる構造なのですが、完成すると幅が非常に広くなり今一つ使用しにくいものでした。しかしこの台車は通常のダイキャスト製の台車と同構造で使用しやすい台車でした。この台車は台車と牽引装置のポストがセットで発売されており、ポストは床板にねじ止めしてあります。価格もそう高価なものではなかったと記憶しています。この当時としてはメッキの質感も良かったので塗装もしませんでした。

宮沢模型製のDT129. 実機はポストと台車を結ぶロッドを延長した線がレール面となるのでポストの位置が高すぎます.

プラ製のパンタグラフは銀色に塗装しました。パーツは灰色の樹脂で成形されており、塗装はされておりませんがちなみにそのまま(グレーのまま)取り付けてみるとプラの質感以上に何か違和感がありました。その原因はパンタグラフの色であるような気がします。私の記憶ではこれらの交流電機の全盛期は新製される機体や全般検査から出場した機体のパンタグラフは銀色に塗装されていたと思います(もしかしたら一部(枠体)は別の色(グレー)だったかもわかりません)。今回、それが明確になる写真を探したのですが見つかりませんでした。ただ上の実物写真もパンタグラフは銀色ではないかと思われます。実物のパンタグラフは経年とともに汚れが付着し元の塗装色はあまり判らなくなりますがそれでも地色が異なると汚れた後の感じも異なりますがこれは模型でも同様なことが言えるのではないかと思います。ただ、現在実機のパンタグラフで銀色に塗装されているものは少ない(ない?)と思いますのでその時代を知らない方は却って銀色のパンタグラフに違和感を感じるかもわかりません。同様な例は窓ガラス押さえのいわゆるHゴム(グレーから黒)や特急電車の屋根の色(昔は銀色塗装でした)にも言えることかもわかりません。私はHゴムといえば灰色のイメージで現在の黒の Hゴムには違和感を感じますし、屋根が銀ではない特急電車の模型を見ると国鉄が赤字で疲弊していた頃の特急電車を思い出してしまうのですが、黒いHゴムや屋根が銀ではない特急電車を見て育った若い模型ファンはどのように感じるのでしょうか。

なお、パンタグラフの塗装はハンブロールのメタルコート(品番27001:アルミニウム)という塗料を使用しました。この塗料はハンブロールの一般的なエナメルカラーとは別の6桁の数字による品番がついています。一般的なものとの差は明確には不明ですが容器に貼ってあるラベルを見ると30秒攪拌した後筆塗りしさらに6時間後に塗り重ねてその後磨くと光沢が出るというようなピクトグラムが表示されています。ただ、試しに乾燥後綿棒で擦ってみましたが何も起起こりませんでした。樹脂への食い付き力も不明でしたので塗装したままとしてありますが、擦ってみた感覚ではポロポロ剥がれることはないようです。欧米のマニュアルにはこのように具体的な時間が明確に記載されているものがよく見られ、メルクリンのユーザーマニュアルにも注油は40時間ごとに行うことが明確に指示されています。日本ではこのようなマニュアルはあまり見かけることがないのは文化(国民性)の差なのでしょうか。またラベルの一端に”PEER FOR MORE INFO”という部分があり、剥がしてみると巻物のように各国語で記載された使用上の注意(SDS(化学物質の製品安全シート)に記載されているような項目)が出てきます。このような仕様のパッケージはドイツレベル社の製品にも見られます。規制がどの程度あるのかわわかりませんが欧州ではこのような溶剤系の塗料の安全性についてメーカーはかなり気を遣っているようです。

碍子は塩害防止用の塗装が施された緑色に塗装しました。この緑に塗装された碍子は在来線に交直両用の特急電車が走っていた頃には東京でもみることができましたが今では東京ではほとんど見ることはありません。また、上の写真の東北本線で使用されている機体(多分福島機関区所属の機体)も碍子は塗装されておりません。冬に羽越本線に乗車すると海が荒れたとき波の花と呼ばれる泡状の海水が線路上にも飛んできます。列車の中から実際に見るとよく演歌に歌われているような冬の日本海らしい風情のある光景ですが、この環境は日本海側の海沿いを走る交流機にとってはかなり過酷な状態でははないかと考えられます。また模型では金属製の碍子を使用しますが考えてみれば実物の車両のパンタグラは長細い陶器製の部品で支持されているわけで、この緑の碍子を見ながら形状は単純に見えても碍子には結構色々なノウハウが詰まっているのではないかと思った次第です。この模型を製作した当時(学生時代)はこのようなことは思いもしませんでしたがこのようなことを思ってしまうのはその後設計者として製品開発の仕事に関わったためでしょうか・・・。
それでは以降、各部を写真を主体に説明させていただきたいと思います。

上にも記載しましたがパンタグラフは銀色に、碍子は緑色の塗装してあります. 700番台には同時期に製作された他の電気機関車と同様屋上に扇風機カバーの突起が設けられています.
スカートのジャンパ栓類はしなのマイクロ製のドロップ製パーツ、屋上の耐寒型のホィッスルするカバーは真鍮角材と真鍮線による自作, ライトのレンズはΦ1の光学繊維の先端をはんだゴテに近づけてレンズ状にしたものをはめ込んであります.

塗装はマッハ模型のシールプライマーと調色塗料を用いていますがこの車両は塗装から40年以上たった今も塗装面はほとんど痛んでおりません。同時期に製作した車両は他にも数両ありますがその中にはかなり塗膜が傷んでいるものもあり再塗装が避けられなかったものもあります。これらの車両の下地処理は全て同じ方法で行ったと記憶していますが同じように洗浄,下地処理, 塗装を行ったつもりでも実際にはかなりばらつきがあったのでしょうか。ナンバーはラストナンバーの791号機としました。ナンバープレートは実機はブロック式のナンバーですがこの車両では帯板の上に市販のステンレスの切り抜き文字をマッハ模型のエッチングプライマー(緑色の液体)で固定し、車体色に塗装後にナンバー磨き出してあります。この方法で今でもナンバーの脱落はありません。飾り帯は実機は塗装ですのでメンディングテープを銀色に塗装して貼り付けましたがこちらも40年間一度も張り替えを行なっておりません。
動力機構は当時一般的に用いられていたインサイドギアーと縦型モーター(カツミD V18-C)を用いた方法です。音が大きくスローは聞きにくいですが牽引力は十分あり通常の運転には支障がありません。普段サウンド付きの機関車を運転することに慣れているとサウンドなしならこのくらい音がしてもいいと思ってしまうのは自分が製作した愛着がある模型だからからでしょうか。

なお、車体は一見上から見て点対象のように見えますが高圧機器の配置のため屋根のダクトが両側で異なります。台車間に配置されている機器も左右で異なりますので組み立て時には注意が必要です。
<パンタグラフについて>
今回初めて真鍮製車両にプラスチック製車両の分売パーツを使用したのですが、少し気になることがありました。あくまで個人の感想ですが記載させていただきます。このパンタグラフは価格も安く形体にも優れていると感じました。ただスリ板の両サイドにある棒状の部品(線材)が少し触れただけで簡単に脱落してしまいます。これはその線材が左右に分割されスリ板中央部の穴に嵌められて固定されているだけなのが原因と思われます。もちろんこの線材の両側を掴んでパンタグラフを持ち上げることは論外と思われますし、私の取り扱い方法が悪いだけなのかもわかりませんが、この部分はパンタグラフを上げ下げする際にアクセスする部分ですのでその際に触れてしまうこともあると思います。再取り付けにもピンセットが必須でコツが必要です。私の手元にあるメルクリンの車両も近年細密化が進みはめ込み部品が脱落して困ることがありますが、パンタグラフのようにユーザーが頻繁にアクセスする部分にはそのような部品は少ないような気がします。今回私は瞬間接着剤で固定しましたが固定力がどの程度あるかはわかりません。プラスチック製の車両は真鍮製の完成品の比べれば比較的安価(とは言っても高いですが)なので、ユーザー層も真鍮製モデルを購入するようないわゆる熱心なマニアと言われる人だけではなく、それよりも幅広い層の人が取り扱うのではないかと思われます。そのため、このような部分は形態を多少犠牲にしてももう少し頑丈な作りにした方が良いという気がします。これは普段私が架線終電に対応した頑丈なパンタグラフが装着されている欧州製の車両に触れる機会が多いためかもわかりませんが、HO(16番)ゲージのプラスチックを用いた量産製品はより幅広い層をターゲットとして生産数量を稼ぎ価格を下げ、HOゲージを今より普及させることができるコンテンツだと考えると、そのような製品の構造が実物の形態を優先するあまり、取り扱い製が犠牲になることは少し問題ではないかと思った次第です。なお、欧州製品についている架線集電に対応したパンタグラフは架線集電を行なわないものにとっては何のメリットもないように思えますが、単に頑丈であるということだけではなく、レイアウトを製作した際、橋やトンネルの入り口部分でパンタグラフの高さを下げるために架線を模したガイドを設けた場合、ガイド部分での上下動が非常にスムーズであるというメリットがあります。その意味でもプラスチック製品のパンタグラフはもう少し頑丈な作りで機能重視でもいいような気がするのは私だけでしょうか。

パンタグラフの両側の洗剤は左右に分割されており摺板の間にある穴に嵌め込まれている構造となっているため不用意に線材に触れると線材が穴から抜けて脱落してしまいます

最後に走行中の動画を掲載してこの項を終わりたいと思います。なお、牽引している12系客車は谷川製作所の真鍮バラキットを組み立てたものでいずれ機会を見てご紹介できたらと思っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。