模型車両の紹介:中央東線の旧型国電 -71系と72系(山スカ)-

しばらくレイアウト製作記事が続いたので、少し話題を変えて、今回はペーパー製の中央東線の旧型国電をご紹介したいと思います。この車両は、このブログに製作過程を紹介させていただいた上越線の70系を製作する前に製作した車両で、いわば湘南型前面を持つ旧型国電の習作といえるものです。この旧型国電という名称なのですが、最近世間を騒がせている新型コロナウイルス でそもそも何が「新型」なのか、また、あまり考えたくはないのですが次にまた人間にとって有害なコロナウイルス が出てきたら、今の新型コロナウイルス は何て呼ぶのだろうかなどと考えると、鉄道ファンが普通に使っている旧型国電、新性能電車、新系列気動車等の新旧はなんなんだろうなどと思ってしまう今日この頃です。海外では新型(novel?)コロナウイルス という呼称は一般的ではないようですし、欧州のメーカーカタログにはほぼすべての車両に活躍した年代がERAという統一表記で記載されています。これも文化の違いなのでしょうか。

話を元に戻します。今回は模型の紹介は後回しにして、今回はまず実物について、私の撮影した写真を紹介させていただきたいと思います。

1975年頃の写真です。4両編成x2の8両編成ですが、この列車は前4両すべて70(71)系で組成されています。

私が初めて中央東線の70系を見たのは小学生の頃でした。当時はまだSLブームの前であり、鉄道ファンはまだ一般的にはあまり認知されてなかったように思います。ファンの人口も今よりは少なく、そのせいか、当時電車区を突然訪問して中を見学させて欲しいお願いすると、職員さんが嫌な顔もせず中を案内してくれて、留置してある車両の運転台にも乗せていただけました。突然の訪問で今思えばご迷惑をおかけしたと思いますが、当時はそんな時代でした。その時三鷹電車区で撮影したのが下の写真です。写真からわかるようにクハ76が181系の横に右側が切れて写っています。当時小学生の私の興味は旧型電車や蒸気機関車よりもやっぱり「あずさ」でした。

当時三鷹電車区の武蔵境寄りには予備車と思われるクハ165等、「通勤電車ではない電車」が数両留置されており、電車区の外からもよく見えるのでよく見に行ったものでした。下の写真は見学の際いただいた東京鉄道管理局発行の見学のしおりです。冊子には和文タイプで国鉄の歴史等が記載されています。巻末に国電の路線図が載っていますが、武蔵野線はなく、国分寺支線が掲載されています。この冊子の中に「電車の値段」という項があるのですが、そこにはモハ101型は1両2,400万円、モハ453型は1両3,300万円、EF80型は7,790万円、新幹線(0 系)は1両6,000万円と書いてありました。この数年後にSLブームが勃発し、高林陽一監督の「素晴らしい蒸気機関車」という映画がロードショーで封切られます。この映画には機関車に恋する少女が出演し、当時のSLマニアを自認する人々には評判が悪かったのですが、この映画の音楽を担当されたのは最近お亡くなりになられた大林宣彦監督でした。私には蒸気機関車を題材としたドキュメンタリー映画というジャンルの映画をいかに映画として芸術性のあるものにに近づけるかという試みであったようにも思え、鉄道マニアの観点であまり批判するのはどうかなと思っています。合掌。

当時、中央東線の普通列車は115系と山スカと呼ばれるクハ76、クハ79と低屋根構造のモハ71、モハ72920番台で運用されていました。また週末になると115系は甲府行きの臨時急行に充当され、代わりに101系の800番台の甲府行きが運用されていました。普通列車の始発駅は新宿と高尾で新宿発の列車に115系が、高尾発の列車に山スカが運用されていました。そして、山スカ編成は三鷹電車区所属でしたので一日に数回三鷹電車区から高尾に回送される列車が見られました。以下はその写真です。

三鷹電車区を出区する山スカのクハ79
三鷹駅から高尾に向かう山スカのクハ76。
国分寺駅付近を走る山スカ。上の写真のクハ76は全金車ですが、この写真のクハ76は運転台が木製の窓枠です。運転台の窓の下に行先表がぶら下がっています。

この編成は4両編成で塩山ー韮崎間のローカル運用にもついていました。当時は身延線の旧型国電も運用されていたと思いますが首都圏所属の列車が短編成で甲府周辺で運用されるという運用形態は今も同じです(今は甲府も首都圏でしょうか?)。

甲府を発車して韮崎に向かう山スカ。、70系と72 系の混結編成の編成順はクハ79+モハ71+モハ72+クハ76となっていましたが、クハ79、クハ76の向きは一定ではありませんでした。

山スカは1976年にすべて115系に置き換わりますが、その後約40年にわたって中央東線は115系の時代が続きます。211系が投入されるまで中央線の普通列車はすべてセミロングシートの車両というイメージができていましたが、この時代まで遡ると甲府までロングシートの普通列車が運用されていたことになります。

実物の話題はこれくらいにして、模型の紹介をさせていただきます。構造は以前製作記として紹介させていただいた上越線の70系と同じです。湘南型の前面をペーパーにより製作するのは初めてでしたので試行錯誤で作りましたが、ちょっと実物とは雰囲気が違ってしまっています。この編成にしても、上越線の70系にしてもクハ76が一両であることは「救い」です。まだ同じ前面を2個作る自信がありません。これとは別に大糸線の旧型電車も製作しており、その編成にクモユニ81を加えたいと思って資料は集めたのですが同じ(に見える?)前面を2個作る自信がなく、躊躇しています。側面は70系等2段窓の車両に比較して簡単に出来ると思うのですが・・・。

電動車は低屋根構造ですので屋根板を使用せず、5㎜のホウ材よりカンナで削り出しました。思ったより簡単でしたがやはり少し稜線が乱れてしまっています。ホウ材は東急ハンズで¥110でしたので、この車両の車体(実物の構体に相当する部分)にかかった材料費は¥150以下!です。

モハとクハの屋根部の段差です。クハはのぞみ工房製の戦前型旧型国電用の中央部をカンナで削って少し薄くしたものを用いています。電動車の屋根は実物寸法より少し薄めに作りました。この角度で見ると段差がわかりますが、編成で見るとあまり低屋根が目立たないようです。

72系の窓は3段窓です。真中の窓と上の窓が同一面になりますので上二つの窓と下の窓で2段構造として、上側窓二つの間の中枠の中央部に鉄筆で筋をつけてあります。ドアの窓が少し斜めになってしまっています。

パンタグラフ周りの配管も一通り作成してあります。パンタグラフはKATOのPS13、避雷器はエコーモデル製です。碍子はIMON製です。

クハ79の全景です。4扉車の3段窓ですので非常に手間がかかると思ったのですが、相手が紙ですので思ったほどではありませんでした。

台車はクハは日光モデルのTR48、クハは日光モデルのDT20で以前からストックしてあったものを使用しています。箱には¥950という値札が貼ってありました。DT20は旧型国電に用いられた台車の最後となるもので、構造はドイツのゲルリッツタイプの亜流と言われていますが、機構部が隠れており詳しい構造はわかりません。

床下機器は電動車は以前カツミから発売されていたダイキャスト製の製品を取り付けてあります。現在のパーツは細密ですが非常に高価です。¥150の車体に合わせて細密度はこのレベルで良いのでこのような安い製品があると助かります。外側に一応配管を追加してあります。

付随車の床下機械はエコーモデル等のホワイトメタル製のパーツをそれらしく並べたものです。

クハ79側からみた編成の全容です。

最後はこの後製作した上越線用のクハ76と並べた写真です。上越線のクハ76の前面の形状の出来栄え(印象)はこの編成を作成した当時に比較すると少し進歩したかなと思っております。実物はもう少し運転台窓の横幅が広く角のRが大きいような気がします。次回作ではさらに改良しようと思います。

以上、最後までお読みいただきありがとうございました。