模型車両の製作:C62が牽引した急行ニセコ

以前紹介させていただいたきましたC62重連に牽引させるために製作した急行ニセコの編成をご紹介させていただきます。1990年頃の作品です。通常、私は車両を製作する際は、ある列車をイメージして作成しておりますが、C62重連の場合、牽引する列車はニセコ以外にありませんので、製作する列車には選択の余地はありません。車両はその編成の中からピックアップして作成しています。

当時の客車列車には多くの場合荷物車、郵便車が連結されていましたが、ニセコには青函連絡船で航送される本州発着の郵便車が連結されており、晩年のC62重連が牽引した急行ニセコの編成はオユ10、スユ13、スハフ44、スハ45、スロ62で組成されていました。そして普通車スハ45の両数は時期等で異なり、9両から11両で運転されていたようです。私はオユ10+スユ13+スハフ44+スロ62++スハ45+オハ47+スハフ44という7両編成で製作しました。オハ47の北海道向けの車両は500番台です。オハ47は両数が少なく、多分通常はニセコには使用されていなかったと思いますが、編成にバラエティーを加えるために加えました。それでは以下,順を追って各車両を説明させていただきます。

<オユ10>
フェニックス模型店のバラキットを組み立てたものです。C62が牽引していた時代、オユ10は非冷房車の車両が運用されていました。目的地(終着駅)は分かりませんが、スユ13共々青函連絡船で航送され、隅田川貨物駅まで運用されていました。そのためこの郵便車は電気暖房付きの2000番台となっています。

車体はキットをそのまま組み立てております。台車は日光モデルのTR50を使用しました。本州”北スミ”所属車のため、床下の発電機は北海道型ではありません。アクセントとなる赤の郵便マークはマークの形に窓ガラスにマスキングをして白を塗り、その後赤を塗り重ねています。窓の保護棒はピノチオ製のエッチング製(塗装済)の製品を使用しました。

床下のディテールは以前紹介させていただいた軽量客車と同等のレベルです。エコーモデルの#1713 郵便車用の排塵用送風機を取り付けてあります。水タンクはエコーモデル#1715、軽量郵便車用水タンクです。

<スユ13>
オユ10の次位に連結されるのがスユ13です。スユ13はオユ12に電気暖房を取り付けて重量増によりオ級からス級になった車両ですが、東北本線は電気暖房、北海道は蒸気暖房ですので青函連絡船で航送されるのでニセコに連結されている車両はスユ13となっています。

このモデルもフェニックス模型店のバラキットの組み立て品です。車体はキットをそのまま組み立てています。台車は日光モデルのTR50を使用しています。ディテールのレベルは上記オユ10や以前紹介させていただいた軽量寝台車と同レベルです。レタリングはいさみや 製、保護棒はオユ10と同じピノチオ製です。

<スロ62>
このモデルもフェニックス模型店のバラキットの組み立て品です。この車両は木造車の鋼体化改造車の60系客車の一族でオハ61の改造車です。以前紹介させていただいた札幌発の道北、道東行きの夜行新台列車にはかつての特急用の1等車のスロ54が運用されておりましたが、ニセコにはスロ62が使用されていました。北海道型は500番台です。

スロ54との差は窓間の柱の太さが太いこと、窓枠がアルミ製であることです。また設備的にはスロ54に比較してシートピッチが大きいことが特徴です。私も何回か乗車したことがありますが、シートピッチの広さは他のグリーン車に比較して明らかに広いことがすぐにわかるものでした。

台車は日光モデルのTR50(実物はTR52)です。グリーンマークはエンドウ製です。

<オハ47>
次はオハ47です。オハ47の北海道向け車両は500番台ですが、両数が少なく、改造年度もC62が消える直前なので、ニセコに使用されていたか否かは不明です。このモデルもフェニックス模型店のバラキットですが、窓枠がアルミ製になっています。取り付けは塗装後の接着となりますので窓周りの接着面にハンダが盛り上がらないよう注意が必要でした。

台車は日光モデルのTR23,発電機は北海道タイプです。北海道型ですので蓄電池は大型のものが取り付けられています。

<スハ45・スハフ44>

その他スハ45、スハフ44もフェニックス模型店のキットを使用しています。仕様(ディテールの細密度)は以前紹介した急行寝台列車の編成と同等ですのでここでは写真のみを紹介させていただきます。前回ご紹介した急行寝台車の編成は札幌発着ですので所属表記が”札サウ”ですが、これらの車両の表記は”函ハコ”としてあり、ここが唯一の差となっています。

その後、ニセコ の客車は1980年に14系客車に置き換わりましたが、青函連絡船で航送される車両による郵便・荷物輸送の使命を担い続け、廃止になったのは1986年のことでした。

以上で急行ニセコ用客車の紹介を終わります。最後までお読みいただきありがとうございました。次回の模型車両の紹介はこの客車の牽引用に製作(改造車)したKATOのDD51を紹介させていただきます。