北海道の急行寝台列車(客車の混結編成):その2

その1に引き続き、今回は10系寝台車を紹介させていただきます。また、北海道を初めとして当時各地を走っていた年代が異なる客車で編成された急行列車の海外版として、私のMärklinのコレクションからRiviera Expressを紹介させていただきます。

その1に記載したように、使用したのはフェニックス模型店のバラキットです。車種はオロハネ10、スハネ16、オハネフ12の3両です。10系客車は1955年ごろより製造された軽量客車ですが、1980年代になると座席車はほぼ廃車されてしまい、残存するのはほぼ寝台車と荷物車になってなっていました。当時の東京上野口には東北線、高崎線の客車普通列車が走っていましたが、10系客車はほとんど連結されておらず、私も乗車した記憶は殆んどありません。

<オロハネ10>
オロハネ10は製造当初亜幹線用の寝台車として中央本線等で使用されたようですが、1960年台前半にその一部が北海道に渡ったようです。前述のように使用したのはフェニックス模型店のバラキットで、車体はキットをほぼそのまま組み立ててあります。A寝台車の窓は20系客車のようにガラスは車体に直接Hゴムで固定されてはおらず1段奥まった位置にあり、新製時は非冷房車であったことがわかります。

オロハネ10は10系客車では唯一デッキがA寝台とB寝台の境界の中央部にあります。10系寝台車は寝台側と廊下側で外観が異なることが特徴ですが、オロハネ10の B寝台の寝台側はデッキを境にA寝台側と窓の形状外観が大きく異なっており、他の10系客車にはない独特の雰囲気を醸し出しています。。

デッキの上部にはA寝台用の集中式のクーラーが取り付けられています。この車両が冷房化されたのは60年台ですが、同時はまだ電車用の集中式クーラーはなかったと思いますのでこのクーラーは集中式クーラーの先駆けだったのかもわかりません。寝台の種別を表わす表示灯の形状が他の10系客車の形状とは異なっています。

トイレは両端にA寝台、B寝台別々に配置されています。台車はTR50で、機械式の発電機が装着されています。

<オハネフ12>
オハネフ12は10系寝台車の最初の寝台車であるナハネ10が緩急車化されてナハネフ10に、さらに冷房改造されてオハネフ12となった形式です。前にも述べましたが10系寝台車の最大の特徴は左右の外観がまったく異なることです。よくヨーロピアンスタイルと言われますが、寝台側の中央部に縦桟を設けた窓はヨーロッパの客車では一般的ではありません。しかし、廊下側のスタイルは特に窓周りの雰囲気が軽量客車の手本となったSBBの軽量客車と似ている気もします。この項の最後に両者の写真を掲載してあります。

10系寝台車にはオハネフ12に他にオハネ17の冷房改造車であるスハネ16、ナハネ11の冷房改造車であるオハネ12、ナハネフ11の冷房改造車のオハネフ13がありますが、給仕室付近の窓配置以外の外観は殆んど同一でなかなか区別がつきません。ただ、今回製作したスハネ16との差は、デッキ付近の屋根に見ることができます。オハネフ12(10系客車としての新製車)は冷房改造前の扇風機カバーが残っているのに対し、台枠を流用したスハネ16ではその部分のベンチレターがガーランドタイプとなっています。

床下機器は一部を除いてエコーモデルのパーツを使用しています。給水、検水コック、パイピング等、スハ43系の床下と同じ細密度で製作しています。

冷房車ですのでスロ54と同様、ディーゼル発電気と燃料タンク、消火器を装備しています。B寝台の表記もいさみやのインレタを使用しています。

台車には北海道地区の台車を特徴付ける機械式の発電機が取りつけられています。この発電機もエコーモデルのパーツで、こちらはTR47用の軸受けを削って取り付けるのではなくディスク状となった部分を軸受けの上に被せて取り付けます。

車端部はエコーモデルの軽量客車用パーツを使用しています。カプラーはKeeDee#16を使用しています。

<スハネ16>
スハネ16はまったくの新製車ではなく、旧型客車の台枠を利用して車体を新製した形式です。そのため台車はTR47となっています。前述のように台車と屋上の一部を除いて新製車とほぼ同じ形態です。62系電車のように車体の裾の絞り系状が新製車と異なっているということもありません。

以上が北海道の夜行寝台急行の編成の中の10系客車です。座席車が早々に廃車されてしまったのに対し、10 系寝台車は東京でも東北・上越新幹線の上野開業時まで見ることができました。

<Riviera Express>
ここでちょっと視点を変えて、海外の年代を跨いだ客車の混結編成の例として、MärklinのRiviera Expressのセットを紹介させていただきます。この製品は1996年ごろに品番42941,42942として発売されたもので、前者が荷物車、食堂車、1・2等寝台車、2等車2両のセットで後者が寝台車、1等座席車、2等座席車の3両セットです。

Riviera Expressはドイツ北部のハンブルグからフランス国境に近いイタリアのRiviera地方に向かう列車で、客車のにはドイツのHumburg AltonaからイタリアのVentimiglia行きのサボが印刷されています。ネットに掲載されているその列車と思われる時刻表によるとD67列車としてVentimigliaを14:18に出発し、Humburg Altonaには翌日の17:15に到着という時刻が出てきます。ヨーロッパ南北を一昼夜以上かけて縦断する列車だったようです。その証拠?にセットの客車のサボにはスイスのBasel、イタリアのRome等色々な行き先が印刷されています。ヨーロッパ各国の人々を地中海の温暖なリゾート地に運ぶリゾート列車だったのかもわかりません。また、もしかしたらRiviera Expressは列車の愛称ではなく、イスタンブール行きのOrient Expressのような通称であったのかもわかりません。ウィキペディアによればRivieraという名称は地方名転じて南国という意味もあるようです。昔森進一が歌っていた「冬のリビエラ」のリビエラは南国という意味のリビエラなのかもわかりません。いずれにしてもこの列車は 厳寒の北海道を走る夜行寝台急行とはまったく違うイメージの列車のようです。

ではなぜここにRiviera Expressの話を持ち出したかというと、メルクリンのこのセットには色々な年代の客車がアソートされており、そこに10系寝台車とスハ43系客車の混結編成との共通点を感じたからです。各車について概略の製造年月を調べ形態を観察したのが下記のコメントです。

荷物車はPW4üeという形式でリベット車体で1928年ごろに製造された車両のようです。日本で言えば同じくリベット組み立て車体であったスハ32系の時代です。

台車は日本ではあまり見られないゲルリッツ式の台車を履いています。両端のコイルバネが板バネで結ばれています。ただ、ウィキペディアによると、国鉄のDT20はこのタイプの台車の亜流であるということです。

緩急車の監視用ドームは日本には見られないものです。

食堂車WR4üg、寝台車AB44üwg、1/2等寝台車WLAB4üは1936年ごろから1940年ごろに製造された車両で、日本ではオハ35系が製造されていた時代の車両です。車端にデッキはありませんが丸屋根の形状がどこかオハ35と似ていると思うのは気のせいでしょうか。

これらの客車の特徴は車体の中央部に床下機器を覆うようなカバーがついていることです。そのためドイツではこの車両群をSkirted Coachと呼ぶこともあるようです。戦前の客車ですが。そのスカート形状はどこか0形新幹線をイメージさせるものがあります。DSGはでドイツの寝台車、食堂車を運営していたドイツ食堂車寝台車会社の略号です。戦前はミトローパという会社でしたが、戦後その名前は東独の会社の名前となり、西独NO名前がDSGになったとのことです。台車は荷物車と同じゲルリッツタイプです。

座席車はUIC-Xと呼ばれる軽量客車で1961年ごろから製造されているようです。イタリアにUIC-X型の客車があったか否かは不明ですが、イタリアの客車をセットする事でこの列車が南国イタリア行きであることをイメージさせていると思われます。なお、この時代のMärklinのUIC-Xは全長26㎝のショーティです。

この客車の台車はミンデンドイツタイプで0系新幹線の台車と同じタイプです。軸受けの横の円筒形のものは機械式の発電機でしょうか。窓は上段下降、下段上昇のユニットサッシで、こちらも日本では国鉄の電車等に広く採用されているものです。ちなみに、ドイツではこの客車が日本の軽量客車に相当するもののようで、星晃氏著の「回想の旅客車」(交友社)によれば、客車1mあたりの重量は日本の軽量客車は約1.2t、スイスの軽量客車は1.2-1.3t、UIC-Xは同じく1.2-1.3tであるとのことです。ちなみにスハ43は約1.7tであるとのことです。

そんな座席車の中にB4üweというリベット車体の荷物車と同じ年代の車両が混じっています。このように見るとこの列車はスハ32系とオハ35系と10系座席車の混結編成のような列車と言えます。

もともとこの客車セットはDBのBR10型が牽引する列車のセットとして発売されたものです。BR10は1957年の製造で引退は1968年ですので、その時代にあわせたセットであるとすると、この客車は1960年代の編成である事になります。今回ご紹介した寝台急行列車よりやや古い年代の列車ですが、当時ヨーロッパでも年代を跨いだ客車を混結した列車が運用されており、またそれらの客車に日本の車両との共通点が見出されるのも面白いものです。日本では10系軽量客車は全廃されてしまいましたがドイツの軽量客車は2000年台になってもまだ各地で見られました(今も走っているようです)。

最後に、日本の軽量客車の礎となったスイスの軽量客車(Märklin#43835)とオロハネ10の写真を掲載してこの項を終わりたいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。


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