鉄道写真:北東北の鉄道 1982・初秋 vol. 1 (奥羽本線/五能線)

1982年9月に北東北を旅した際の写真を紹介させていただきます。
今回はvol. 1として五能線を主体とした奥羽本線、五能線の写真をご紹介させていただきます。
この時の写真は下記にアップしてありますのでよろしければご覧ください(動画のタイトルが1983となっていますが1982の誤りです。申し訳ありません)。

1982年の大きなイベントの一つは何と言っても6月の東北新幹線の開業です。ただ当初同時開業を予定していた上越新幹線は新中山トンネルの大出水事故により開業が11月に延期となったため新幹線開業に伴うダイヤ改正の規模は比較的小さく、新幹線と同一区間を走る特急やまびこの廃止が主なもので、東北本線のその他の特急ひばり、はつかり等の特急列車はまだ運転されておりました。また東北本線以外の東北地方の列車体系はほぼ新幹線開業前の状態を維持していました。以下はその様な時代の旅の記録です。

購入した乗車券は当時定番の東北周遊券です。有効期間は10日です。上野から急行鳥海で秋田に向かいます。当時の鳥海は10系寝台車+スロ62+スハ43系客車という当時の一般的な急行列車の編成で私はグリーン車に乗車しました。当時10系寝台車の模型は作っていましたが、 10系客車のB寝台は寝台幅も狭く車両も古いためあまり快適とは言えず、できれば乗りたくない車両でした。その点、スロ62は同じく車両は古いのですが当時の標準的な急行(特急)用のグリーン車のシートが使用されておりシートピッチも普通のグリーン車より大きく、グリーン料金は寝台料金に比較して安く、さらには夜が明ければ車窓を眺めることもできるためよく利用していました。ただ、当時は決して空いているとは言えず、高崎線内から乗ってこられる方も結構多く、乗車率は50%以上であったと記憶しています。上野発は21時13分、秋田着は8時過ぎでした。

秋田駅には男鹿線の気動車が停車していました。車両はキハ22が使用されていました。キハ22は北海道むけに製造された気動車ですが東北北部でも運用されていました。当時の車両配置表(鉄道図書刊行会編:国鉄車両配置表1981年版)によると秋田機関区には200番台が2両配置されていた様です。

その横を大阪発青森行きの寝台特急日本海が通過して行きます。当時はまだ寝台特急にヘッドマークは付いていませんでした。

秋田から奥羽本線で五能線の始発駅東能代に向かう途中、八郎潟で途中下車して撮影した写真です。食堂車を連結した12両編成の上野行きの特急いなほ、急行むつ、ED75 700番台重連の貨物列車等が通過して行きました。当時ED75 700番台はほとんどが奥羽本線内の運用でした。

八郎潟から五能線の始発駅東能代に向かいます。東能代の構内は広く、先ほど撮影した貨物列車が停車していました。当時の貨物列車はまだコンテナの比率はそれほど多くなく、種々の貨車が連結されていました。その傍らを寝台特急日本海が通過して行きました。また扇形庫の手前にはラッセルヘッドを外したDE15の姿も見ることができました。

五能線弘前行き普通列車はDE10牽引のオハ61系3両編成です。最後尾にはオハユニ61が連結されていました。当時から五能線は列車が海辺の景色の良いところを走る線区として鉄道ファンの間では知られた存在でしたが鉄道ファン以外の方の間では知名度はまだ低く、観光列車という雰囲気は全く無いごく普通のローカル線の列車です。オハ61の背ずりは板張り、電灯は白熱灯でした。五能線の客車には混合列車に対応した特殊な暖房装置がついていた様ですがこの写真からではわかりません。

東能代を出発した列車は能代を経て民謡の歌詞で有名な八森を過ぎると日本海が見えてきます。列車は最初は高台を走りますが岩館駅を過ぎて青森県に入ると次第に高度を下げ列車は国道と並走しながら海岸沿いを走ります。小さな岬の部分では線路は海から一旦離れしばらく内陸を走った後再び海辺に出ます。地形によってはトンネルをくぐります。また時には大きな岬を海岸にそって回り込んだり白神山地から流れ出る川を渡って進んで行きます。この様な変化に富んだ車窓が鯵ゲ沢まで続きます。

深浦では上り列車と交換、最後尾に貨車1両を連結し、混合列車になりました。当時でも混合列車は非常に珍しいものでしたが五能線ではこのあと数年混合列車の運用があった様です。

深浦を過ぎるとだいぶ日が傾いてきます。学校帰りでしょうか、学校帰りの生徒たちの姿も目立ってきます。

鯵ヶ沢では客車が1両増結されました。交換でやってきた気動車は4両編成で、乗降する人の数も増えてきます。4両のうち2両は東能代方面に出発し残りの2両は客車列車が出発後上り列車となって弘前に向かいます。

鯵ヶ沢を出発した列車は岩木山を遠くに望みながらリンゴ畑の中を走ります。津軽鉄道の起点である五所川原を過ぎると岩木山の裾野を回る様に南下し、川部についた時には辺りは暗くなり始めていました。隣のホームからは黒石線のキハ40単行列車が黒石に向けて出発して行きました。

私は川部から奥羽本線に乗って青森に向かいました。青森周辺の写真はvol. 2で紹介させていただきます。

これらの写真を含むスライドショーは以下のYoutubeにアップしてありますのでよろしければご覧ください。