鉄道写真:北海道の鉄道 1981・冬

1981年の冬、大学の先輩と北海道へ撮影旅行した際の写真を紹介させていただきます。その時撮影した写真は以下のYoutubeにアップしてありますのでこちらもご覧ください。

https://youtu.be/8pflZo8RZaI

https://youtu.be/MKmT5mqp_W4

https://youtu.be/EQupzYy_0S0


ここではその行程を旅行記的に、追加の写真、資料も交えて紹介させていただきます。
旅した経路は以下のとおりです。*が主な撮影地点です。

東京ー函館*ー<函館本線>ー大沼*ー長万部ー<函館本線>ー札幌*(泊)ー<函館本線>ー砂川*ー深川ー<留萌本線>ー留萌ー<羽幌線>ー幌延*ー<宗谷本線>ー抜海*ー稚内(泊)ー<天北線>ー浜頓別ー<興浜北線>ー北見枝幸ー<バス>ー雄武ー<興浜南線>ー興部ー<名寄本線>ー中湧別ー湧別*ー中湧別ー<名寄本線>ー遠軽ー<石北本線>ー網走(泊)ー<釧網本線>ー標茶ー<バス>ー厚岸ー<根室本線>ー根室ー<根室本線>ー帯広(泊)ー<レンタカー>ー十勝清水*ー新得*ー帯広ー<根室本線>ー苫小牧(泊)ー<室蘭本線>ー白老*ー東室蘭ー<室蘭本線>ー<函館本線>ー函館ー(車中泊)ー東京

ー東京から函館へー

函館には15:30発の特急はつかり11号(1M)、青函連絡船1便で向かいました。1981年当時は北海道への経路はまだ鉄道が主体でした。列車番号からもわかるようにこの上野駅を15時過ぎに発車するはつかりは青函連絡船の深夜便に接続し、翌朝には札幌で仕事ができる最も利便性の高い列車であるため、ビジネス客も多く乗車していました。当時の学生は北海道に行くには上野発の夜行列車が主な移動手段であり、当時私のような普通の学生にとってはこの列車の利用は贅沢なものでした。
購入した切符は定番の北海道周遊券です。この当時はすでに自由席であれば周遊券のみで特急列車にも乗車可能でした。
青函連絡船はグリーン車を奮発しました。青函連絡船のみグリーン車(グリーン船室)を選択する人も多く、船内の自由席グリーン券売り場は混雑していました。グリーン券を船内で購入すると発行欄は乗船した船の船名が印刷されています。そのグリーン券から今回乗船した船は摩周丸だということがわかります。乗船名簿は特急の車内で配布されており、車内で住所、氏名等を記載して乗船時に連絡線乗り場に備え付けられている投函口に投函してから乗船します。

ー函館から札幌へー
約3時間50分の船旅を終え函館に到着するとホームには札幌行きの室蘭本線経由の特急おおぞらと函館本線経由の特急北海が停車しています。連絡線から下船した人々は下船口から立ち止まることもなく次々と足早に目的の列車に乗り込み、特急列車は慌ただしく出発していきます。

特急列車が出発すると函館駅は静けさを取り戻し、やがて夜明けを迎えます。そして函館本線や江差線、松前線の列車が出発していきます。我々も普通列車で大沼に向かいました。


大沼駅の少し手前に、函館本線が小沼のほとりを走る地点があります。そのあたりで列車を待っていると青函連絡船に接続する特急列車、急行列車、青函連絡船に乗ってきた貨車で組成された貨物列車が次々やってきます。当時はまだ道東、道北行きの特急、急行列車とも函館を基点に運行されており、特急おおぞらを始めとして特急おおとり、急行宗谷などが函館発で運転されていました。また当時中間に電源車を挟んだキハ183系の試作車が1編成使用されていました。またすでにキハ22・キハ24に混じってキハ40も使用されていました。


東京や関西から青森に到着した夜行の特急、急行列車に接続する青函連絡船からの乗客を輸送する特急・急行列車の運転が一段落すると優等列車が少なくなり列車の運転間隔が空いてきます。我々もその接続列車のほぼ最後の列車となる急行ニセコで札幌に向かいます。この列車はDD51+14系客車で運転されていましたが、そのダイヤはC62時代とあまり変わっていませんでした。

ニセコの札幌駅到着は夜暗くなってからです。当時の札幌駅はまだ高架化されていませんでした。夜の札幌駅は新規投入されて間もない781系、新製時投入時の塗色のままで活躍中の711系とともに、狩勝・まりも等、道東、道北行きの急行列車が運転されていました。オロハネ10は既に運用を外れ、A寝台車はオロネ10が連結されていましたが、スロ54はまだ運用されており、DD51を先頭に、蒸気暖房の蒸気を吐きながら発車を待っていました。

ー札幌から稚内へー

札幌から留萌本線の始発駅である深川駅に向かう途中、砂川で途中下車し函館本線の列車を撮影しました。暖房用の蒸気を吐いて走るED76の牽引する普通客車列車や781系特急いしかり等が通過していきます。高速で通過する特急列車を後追いで撮影すると北海道の雪質が軽いことがよくわかると同時に、この雪質が電気車にとっては非常に厳しいもので、北海道専用の電車の開発が必要だった理由が理解できるような気がしました。

石狩平野の北端に近い深川で留萌本線に乗り換え留萌に向かいます。列車は恵比島ー峠下の間で低い峠を超えて留萌に到着します。留萌からは羽幌線に乗り換え日本海に沿って北に向かいます。日本海に浮かぶ天売島、焼尻等を見ながら羽幌に到着する頃にはだいぶ日も傾いてきます。この時代はまだこのようなローカル線でも貨物列車が走っており、また普通列車には郵便気動車も連結されていました。当時羽幌線、留萌本線にはここだけでしか見られないキユニ21が使用されていました。

羽幌線の終点、幌延に着く頃にはすっかり陽も傾いてきます。夕焼けの中幌延からは稚内行きの普通列車に乗り換え稚内に向かいます。あたりはすっかり暗くなり、利尻、礼文島は見ることができませんが列車は暗闇の中稚内を目指して走り続けます。途中抜海で上り普通列車と交換し、夜稚内に到着しました。

ー稚内から網走へー

3日目は稚内から今は廃止となってしまった天北線、興浜北線、興浜南線を経由してオホーツク海沿いに網走に向かいます。まずは稚内から天北線に乗り込み興浜北線の始発駅である浜頓別を目指します。あたりは白一色の原野で三浦綾子の小説、天北原野を彷彿とさせる風景が続きます。

浜頓別から興浜北線に乗り換えてオホーツク海が見えてくるとそこはあたり一面流氷の世界です。列車は斜内を過ぎると上り勾配となり神威岬に差し掛かります。岬先端を通過する際の高所から見える流氷の浮かぶオホーツク海の風景は美しく、それが一瞬で終わってしまうこともあり非常に印象深いものでした。

北見枝幸に到着すると列車に接続するバスに乗り込みます。車窓からは工事が中断したままの橋梁や路盤が見える中、バスは雄武を目指します。雄武からは興浜南線で興部に向かい夕暮れの紋別を過ぎて中湧別に到着しました。

中湧別で乗り換え湧別方面に向かうとすぐに湧別に到着します。途中には4号線という学校の朝礼台のような停留所があります。湧別に到着した列車は程なく折り返し列車となり中湧別に向かいますが、地元の乗客の方はいませんでした。このあたりで外は暗闇となり石北本線で網走に到着したのは夜遅い時間でした。

ー網走から根室を経由して帯広へー

4日目は釧網本線で標茶に向かいます。朝の釧路行き列車は混DE10が牽引する混合列車で、客車の車内にはまだ使用されていない石炭ストーブが残っていました。途中緑駅で下り列車と交換し、屈斜路湖と摩周湖の間を通過し、標茶に到着します。標茶からはバスに乗り換え厚岸に向かい厚岸からは根室本線で根室に向かいます。根室本線にも客車の普通列車が走っていましたが、厚岸で交換した上りの客車列車には郵便車も連結されていました。

根室で折り返し、再び根室本線に乗って帯広を目指します。外は荒涼とした景色ですが北海道の列車の車内は非常に暖かく快適で、カーブも少なく駅間距離も長いのでかなり早い速度で走ります。決してのどかにトコトコ走るという感じではありません。当時普通列車に使用される気動車は各線区にキハ40が投入されていたものの、まだ大部分はキハ22で、室内灯が白熱電灯の車両もかなり残っていました。下り列車と交換しながら帯広に到着した頃にはあたりはすっかり暗くなっていました。

ー帯広から狩勝峠での写真撮影、そして苫小牧へー

帯広からは写真撮影のためにレンタカーで狩勝峠に向かいます。3月になると道東は比較的雪は少ないのですが芽室、十勝清水を過ぎ、新得まで来ると積雪量も多くなってきます。当時まだ石勝線は開通しておらず、特急列車は新狩勝トンネルを抜けて富良野、滝川を通る根室本線経由で札幌に向かっていました。根室本線は新得から新狩勝トンネルまで一旦南下するU字型の線形となっていますので新得駅からまっすぐ東の方に向かうとすぐに根室本線を俯瞰できる場所に到着します。その地点で数本の列車を撮影しましたが、雪で視界のきかない中、登り勾配を登る気動車のエンジン音は長い間あたりに響き渡っていました。

撮影を終えて帯広に戻り、特急おおぞらで帯広から狩勝峠を通り札幌を経て一気に苫小牧に向かいます。狩勝峠のあたりで峠の雪景色を見ながらビールを飲むという目的で食堂車に行きました。今では味わえない贅沢な体験です。札幌を過ぎて苫小牧に着いたのは夜遅くなってからでした。

ー苫小牧から白老を経て函館へー

苫小牧から写真撮影のため白老に向かいます。このあたりに来ると遠くの山はまだ真っ白ですが前日の狩勝峠とは異なり平地には雪は少なく、北海道もあるが近付いていることが感じられます。室蘭本線は室蘭まで電化されていますのでこのあたりでは気動車列車に混じり711系普通列車や781系も走っており、バラエティーに富んだ列車が撮影できました。

写真撮影後東室蘭に向かい函館行き特急に乗り東京への帰途につきます。東室蘭駅構内にはまだ道外禁止の黄帯を巻いた石炭車も見られました。

ー函館から東京へー

函館に夕方到着し、青函連絡船で夜青森に到着、20系客車使用の急行十和田で東京に戻ります。時は3月中旬で急行の停車駅では東京に就職する人の見送り風景が各所で見られました。

使用した特急券、周遊券、入場券です。周遊券では北海道の地図の中の駅の場所付近に途中下車印を押してくれる駅もありました。

以上、お読みいただきありがとうございました。