模型車両の製作:珊瑚模型店製D51の組み立てと加工(4) :キャブとキャブ下の配管の加工

今回紹介するのはキャブ周りとその周辺の配管の加工です。この周辺の細密化は作品の細密度をあげるための主要な部分の一つです。反面走行性(カーブの通過性能)を確保するためにはカーブ上で配管と従台車との干渉を避けることが必要で、その制約の中、細密感を保ちながら配管をどのように配置するかという所謂「模型化設計」を行わなければならない部分です。それではまず最初にキャブの加工内容から紹介します。

非公式側のキャブの側面


3-0 キャブの組み立て
キャブ組み立て説明書に従って組立てましたので組み立て手順で特筆するところはありません。前妻には組み立て前に配管取り付け用の穴を加工して置いたことは第1回目の組み立て前準備の中で述べたとおりです。その他の加工として、私は下の図面に示すように、キャブの床板に配管固定用として直径0.5㎜〜1㎜の穴を多数開けておきました。その理由は以下の通りです。

キャブの床に開けた穴の図面

キャブ周りに配管を取り付けていく際、キャブ下には配管が輻輳します。取り付けていく配管は図面や写真に基づき現物あわせで曲を行ない取り付けますが、曲げにはどうしても誤差が生じます。そのため、あらかじめその配管を固定する位置に穴を開けておいても曲げ時の誤差で取り付け位置がズレる場合があります。また、他の配管のずれに応じて取り付ける配管の位置を修正する必要も生じます。その際、新たに穴を開けようとしても前に取り付けた配管がドリル刃と干渉して穴が開けられない場合も考えられます。このためこれを考慮してあらかじめこの穴を開けておき、配管取り付け時、キャブに取り付けるための配管の曲げ位置を決める際、この穴の中のどれかを選択して曲げ位置を決めれば簡単に線を穴に入れて固定できるようなります。穴径より太い線を固定する場合もこの穴があればドリルやヤスリを斜め方向から入れて比較的簡単に径を拡大することが可能です。また、主要な配管が終了した後キャブから空気分配弁に向かう作用管を取り付ける際、この穴の中から適切な穴を選択して配管を固定することが可能です。なお、使用しない穴はそのままにしておいても外からは見えませんので未使用の穴を埋める必要もありません。
3−1 キャブの加工
側面には北海道型のタブレットキャッチャを取り付けました。国立科学博物館のD51 231に倣い、縦樋はそのタブレットキャッチャを避けるように曲げてあります。バタフライスクリーンは北海道の蒸機を象徴する装備ですが、形態をよく見ると、枠はかなり細い印象です。厳寒地を走る蒸気機関車には不可欠な設備ではありますが、模型としてみた場合、あまり目立つ物ではありません。そのため、わざわざ高価なロスト製パーツを奮発する必要もないと思い、幅0.3㎜、厚さ0.3㎜のの帯板と直径0.3㎜の真鍮線から自作しました。帯板が薄いので強度的に不安でしたが枠体にすると意外に強度があり変形の心配はないようです。旋回窓も前方の視認性を確保する重要な設備ですが、は取り付けるとゴツくなりそうな気もしましたので、取り付けておりません。最近は歳のせいか、実物(プロトタイプ)についているものを全てつけるというよりはゴテゴテ感を抑えてある程度車両としての美しさにもこだわる様になったのかもしれません。

公式側のキャブ側面

信号煙管、暖房用安全弁はキットのパーツを使用していますが私が今まで製作した作品も使用したパーツは珊瑚模型店製でしたのでその点では他機とのバランスも問題ありません。吊環はD型機には大型のものが似合うような気がしましたので中央部につける大型のパーツを選択しました。テンダ水撒管はC57 135の形態を参考にして割ピンと真鍮線から製作しました。交通博物館に展示されていた頃のC57 135は2階から上部を間近に観察することができ、その点、模型ファンには有り難かったような気もします。鉄道博物館に移ってからは上部が観察しにくくなった感があります。以前紹介したEF58は鉄道博物館では壁際に展示されており、模型製作のための細部撮影には苦労しました。20系客車を製作する際も一瞬鉄道博物館に行って床下の細部の写真をことも考えたのですが、床下は見えにくい展示になっているようですのでやめました。博物館に「綺麗に」展示されている車両は屋外に無造作に保存されている車両より却って細部が観察しにくいようです。最後に話が脱線してしまいましたが、以上でキャブの説明を終わり、以下キャブからコンプレッサ、給水ポンプに至る配管について説明します。

割りピンと真鍮線で製作したテンダ水撒管
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C57 135のテンダ水撒管

4−0 キャブからコンプレッサ、給水ポンプに至る配管の構想
冒頭にも記載したように、このキャブからコンプレッサ、給水ポンプに至る配管は細密モデルを特徴付けるいわば象徴のような部分と言っても過言ではありません。下の写真は第1回目の記事で紹介したなかお・ゆたか氏執筆のD51の組立て法の第1回目が掲載された1974年の1月号に掲載されたカツミ模型店製のD51の紹介記事ですが、この部分の配管は公式側は途中に調圧機のついたキャブからコンプレッサに至る配管のみで、取り付けられている部品も挽物製のドロダメのみ、非公式側はウズ巻き塵取りが取り付けられた給水管のみです。このようなモデルを見慣れていた時代の者にとっては、当時のTMSに掲載されている各種のロストワックスパーツを駆使してこの部分の配管を充実させた作品は憧れであり、まさに高嶺の花でした。ただ、当時は(今も?)ロストワックスパーツ自体も「高値の花」でした。なお、同年2月号に紹介されている宮沢模型製のC57はホワイトメタルのパーツのキャブ下の分配弁等が取り付けられています。ロストパーツの普及や雑誌に掲載される細密機の影響でこの頃から製品(完成品)の細密化が意識され始めたのかもわかりません。

TMS1974年1月号のカツミ模型店製D51の紹介記事

このような時代を経験しているものにとってはこの部分の作業には特に力が入ります。私は1軸従台車を装備する機関車のキャブ下のへ配管の追加は過去に紹介したC 57,C55で行なってきました。しかし、D51はそれらの機種とは異なりキャブ下に低い位置で車端まで伸びた台枠が存在しており、このキットはその台枠が従台車側に造形されています。これは上記キット組み立て法で解説されているアダチ製作所製のD51の従台車も同構造です。この部分は、なかお・ゆたか氏執筆のD51の組立て法では空気分配弁等キャブ下のディテールはダイキャスト製の従台車側に取り付けられ、従台車とともに首を振ります。カーブ通過だけを考えればこの記事のようにキャブ下の機器と配管は従台車側に設けた方が合理的な様な気がします。ただ、私はやはりこの言わば細密化の象徴のような部分を台車側に設けるのに抵抗があったため、配管は車体側に設けることにしました。そのための対応として公式側では空気分配弁の位置を従台車の台枠と干渉しない位置まで持ち上げ、真横から見て従台車とラップする機器は渦巻き塵取りのみとする対応をしてあります。。また、非公式側では各配管を従台車の台枠と干渉しない位置まで上方に持ち上げるとともに、キャブのほぼ直下に降りる配管をテンダー側に退避させて配管してあります。結果、配管が全体的に外側に位置するとともにテンダー各配管をU字型に曲げてテンダー側に延長することができなくなってしまいました。完成後眺めると、各配管はもう少し下方かつ内側に攻めても良かったような気もしますが、この辺りは運転性能確保上やむなしと割り切ることとしました。
4−1 配管とその引き回しに関する資料
今回全面的かつ有効に活用した資料はTMS1975年1月号に掲載されたなかお・ゆたか氏執筆の国鉄蒸気機のパイピングという記事(図)です。この記事が掲載される前にも、蒸気機関車の給水関係と空気関係の各機器の接続図はよく掲載されていましたが、このように各配管が実機の配管がどのあたりを通っているかを示したのはこの図が初めてではないかと思います。最近の雑誌でもよく掲載される空気ブレーキ関係の配管図は多分米国特許の図面をもとにしているのではないかと思われますので必要な機器とその接続は正確です。また蒸気(水)の流れを説明した図では直接機関車を動かすのに関係ないレール水撒管やタイヤ水撒管等は省略されていることが多いようです。その点、この図はそれらの配管も含め、各配管が機体のどのあたりに配置されているかがわかります。この図はD51の例で記載されていますが、D51だけでなく他の形式も含め、いろいろな機体の写真をこの図と対比させてじっくり眺めることにより、他の形式の改造が施されている機体も含めて(配管が接続される機器はほぼ同じ位置に取り付けられているため)実機のどの配管がこの図面のどの配管に相当するものかが特定できるようになり、いろいろな機体から各部の好みの形態を選択し、矛盾のない形で特定ナンバー機ではない「個性のあるモデル」が製作できるような気がします。最近模型雑誌でも蒸気機関車の各部の形態差の解説をよく目にしますが、このよような基礎的な解説もぜひ掲載してもらいたいと思います。なお、この図では電線管は非公式側にありますが、前述のようにD51 231やC57 135では公式側にあります。電気ケーブルはは水や空気配管と異なり配管の自由度が高いため機体により電線管は機体により位置が大きく異なっているようです。

TMS1985年2がつ号に掲載された記事”国鉄蒸気のパイピング”

前置きが長くなりましたが、以下、写真で加工内容を説明します。
4-2 公式側の配管
キャブからコンプレッサに至る部分のランボード下方には以下の配管を取り付けてあります。
a. キャブ(蒸気分配箱)から調圧機を経てコンプレッサに至る配管
b. 調圧機に接続される高圧頭作用管及び低圧頭作用管
c. 元空気溜め管(途中に締切コックを取付)
e. ブレーキシリンダー管
f. ドロダメから火室ノド板留弁に至る配管
また、北海道の蒸機に特徴的にみられるテンダ水温め管をランボードに沿って配管しています。この配管はコンプレッサの前方でコンプレッサ排気管と3方コックで接続され、キャブ下を通りテンダに向かいます。コックはロスト製の締切コックを使用しましたが、もう少し大型のパーツにするべきでした。また、速度系ロッドを追加してあります。
キャブ下に取り付けたのは以下の配管です
g. 元空気ダメ管から空気分配弁に至る配管
h. 列車ブレーキ管からうず巻きチリ取りを経由し空気分配弁に至る配管
i.キャブから空気分配弁に配管される作用管
これらは奥側から手前側に、取付手順をよく考えながら取り付けていく必要があります。なお、前述のように空気分配弁を従台車との干渉を避けるため実機よりも上方に取り付けましたので分配弁上方のスペースに余裕がないため配管は実物通りには接続されていません。また今までの作品では取り付けていた無動力改装装置も省略しています。速度計ロッドは0.3㎜の真鍮線でキャブ側と動輪側の本体部(ギアボックス等)は帯板、真鍮線、輪切りにした真鍮棒から自作しています。

加工の終了した公式側キャブ周辺. 空気分配弁は実機より上方に取付.

4-3 非公式側の配管
非公式側のキャブから給水ポンプに至る部分のランボード下方には以下の配管を取り付けてあります。なお、キットに付属していた.2子3方コックは長さの短いタイプでしたが、配管が従台車を避けるため実機より上方に配置されるため、バランスを考慮して長いタイプに交換してあります。
a. 給水ポンプに接続される蒸気管と排気管
b. 給水ポンプから消火栓を介して給水温め機に至る配管(ロストワックスパーツ)
c. 給水ポンプからチリコシを介してテンダーに至る配管(布巻管)
d. 2子3方コックから前方に向かうレール水撒管及びタイヤ水撒管
e.2子3方コックから水撒インジェクターに至る配管及び水撒インジェクター蒸気管
f. 水撒インジェクターから下方に向かう排水管
g. キャブからの注水機溢れ管
h. キャブからの排水管
i. キャブから給水ポンプ方向に向かう作用管2本
この中で実機の排水管はキャブからほぼ真下の方向に向かうものがありますが、今回は従台車との干渉を避けるため後方に曲げて配管してあります。この部分の布巻管は以前発売されていた福原金属製の布巻き管を使用しています。真鍮線に薄板が巻き付けてあるもので、実感的ではありますが、曲げの部分で巻いてある板がずれて巻き乱れが生じますのでをの部分はうまく修正してハンダで固定しておくことが必要です。またランボード下には上方の発電機から伸びてくるドレン管を取り付けてあります。

非公式側のキャブ下の配管.

給水ポンプ前方の連絡管(冷却管)は公式側と同じ方法で製作してあります。前方に油ポンプ箱がありますので長さは少し短くなっています。

以上でエンジンの加工はほぼ終了です。この後取り付けに歪みのある部分、加工中に変形してしまった部分を修正して作業完了となります。なお、今回のように各部を至近距離で写真撮影しじっくり眺めると歪みや変形がよく分かります。今回紹介した写真でも歪みが目立つ部分がありますが、その部分は塗装までに修正したいと考えております。次回はテンダーの加工内容を紹介したいと思います。最後までお読みいただきありがとうございました。

修正作業を残しひとまず完成した車体. 標識灯高さは上方に修正済み

模型車両の製作:珊瑚模型店製D51の組み立てと加工(3) :ボイラー周りの加工

前回は機関車のフロントエンドの加工について説明しましたが、第3回目の今回は今回はボイラー周りの加工について紹介したいと思います。このキットのボイラーまわりの部品は主にロストワックスパーツが使用されているのでパーツのロストワックスパーツ化は汽笛のみとなります。したがって加工は配管の追加が主な作業となります。主な加工箇所は車警用発電機の追加とその配管、空気作用管の追加になります。なお、ボイラー周りの布巻線は全てウイスとジャパン製を使用しています。
2-0 組立手順について
まず、細部を説明する前に全体的な組立手順について記載したいと思います、このキットの取扱説明書ではボイラーにパーツを取り付けてからランボードを取り付ける手順となっています。また、第1回目で紹介したなかお・ゆたか氏の組み立て記事の手順も同一の手順です。一方、私は、ボイラーに部品を取り付ける前にランボード(前部デッキの斜め部分を除く)を取り付けています。これは今まで製作のベースとしてきたボイラーとランボードがあらかじめ組み立ててきたカツミ製イージーバラキットの影響もあるかと思いますが、外観上の基準となるランボードを取り付けてから部品を取り付けたほうが組み立て中に全体的なバランスがチェックできるような気がしているためです。なお、どちらを先に取り付けてもボイラー内側へのハンダゴテのコテ先のアクセス性はほとんど変わりません。それでは以下、細部を説明していきます。
2-1 ランボード上のディテール
ランボードへの筋付けとリベット植え込み、ランボード上の点検口(点検口の蓋)を追加しています。これらはランボーどをボイラー取り付け前に行います、点検口は0.2㎜の洋白板を用い、適宜把手を追加してあります。この点検口の位置は機体によって様々で、位置が決まっているわけではないようです。この様に、実機の形態の法則性がわからず、どのような形態で製作するかに迷った場合、私はあまり悩まず、手持ちの雑誌の一枚の写真(製作中の形式とはかぎりません)に基づいて製作したり、多数の写真を見てそこから湧いたイメージで加工箇所や部材の形状を決めてしまいます。この辺りは特定ナンバー機を製作するのとはまた違った楽しみ方ではないかと勝手に思ってる次第です。

ランボード上に取り付けた点検口

公式側のランボードには前方より油ポンプ、油ポンプ箱、逆転機カバーを追加してあります。その他のパーツはキットに付属していたものです。

2−2 ボイラーに取り付ける部品の追加・交換
ボイラー本体に取り付ける部品は、非公式側の逆止弁(標準型を耐寒型に交換)、汽笛(挽物製をロストワックス製にこ交換)の2点です。また車警用発電機を追加しました。

2-3 油ポンプ箱
非公式側のランボード下に取り付けられている油ポンプ箱はロストワックス製の部品には交換せず、付属のパーツを使用しています。このパーツは真鍮ドロップ製の前側の蓋部分と、コの字型に曲げられた真鍮の部材を組み合わせる構造ですが、コの字型の部材の板厚が厚く、角が甘くなっているので薄板で作り直しました。この部材にはエッチングパーツの縁の部分を使用します。今回はエコーモデル製のATS車上子の縁の部分を使用していますが、エッチングパーツの縁は帯板より幅が広く、平面製も良好ですので保管しておくと便利に使用できます。またこのような部品を折り曲げる際は折り曲げ部に筋を彫り込みますが、私は最近、その彫り込みにはプラカッターの刃を使用しています。オルファ製のカッターの替え刃の中にはプラカッターの替え刃があり、価格も比較的安いですので消耗品的に使用でき、重宝しています。


2-4 発電機周りの配管
下の写真は発電機周りの配管です。車警用発電機は上記の入り口と電線の取り出し口が外側にあり、配管が発電機を乗り越えてCABに配管されています。また、発電機からの電線管には発電機の近傍に継手がついていますので配管の工作がが少し複雑になります。マフラーは主発電機は付属の挽物パーツを用いましたが、車警用発電機用のマフラーは挽物パーツがなかったので洋白棒から自作しました。マフラーはその下部に取り付けた真鍮線を発電機の穴に差し込んで固定しますが、強度確保のため根本を近傍の配管にも半田付けしてあります。今まで製作した作品は何回か外れてしまったことがあります。運転して楽しむ細密化したモデルではこのような対応も必要と感じます。

この発電機周りの配管は鉄道博物館に保存されているC57 135を参考にしました。国立科学博物館のD51 231もほぼ同形態であると思われます(上から観察できないので詳細は不明ですが)。配管の直径が元々オーバースケール気味ですので、このような配管が輻輳する部分では次第に配管の隙間がなくなってきます。今回も汽笛引き棒を通す位置が限られてしまい、取り付けには苦労しました。

電線管がCABに入る部分には真鍮角線で製作した継手を設けました。これもD51 231を参考にしています。

2-5 その他の配管
ボイラー上に配管を追加する(パイピングする)際に最初に行うことは各配管の線径を決めることですが、その際にはまず主要な配管の線径を決めます。「主要な」と言っても機能的に主要なものではなく、比較的目立つという意味での配管です。目立つ配管とは私の感覚では、昔のあまり細密ではない一般的な「完成品」に付けられている配管です。そして、それらについて線形に注目して写真を見ると、砂撒管>ハンドレール、ハンドレール<加減弁テコ、砂撒管<加減弁テコ、加減弁テコ等<給水管等、各配管の太さの関係のイメージがわかりますので、そのイメージに沿って線径を決めていきます。私は上記の配管について、線径を 砂撒管=0.4㎜、ハンドレール=0.5㎜、加減弁テコ=0.6㎜、給水管=0.6㎜(布巻管)としました。そしてハンドレールより細い線は直径0.3㎜、給水圏より太い線は0.8㎜、空気作用管は0.25㎜としてあります。ただ給水管はもう少し太くても良かったかもわかりません。一方、配管径の中で迷ったのは電線管です。写真を見ると太さは様々で、ハンドレールより太い機体も細い機体も存在しますが、今回は前述のD51 231やC57 135の例に倣い、直径0.3㎜の真鍮線を使用し、公式側のハンドレール下部に割りピンで取り付けました。また各配管の固定方法ですが、ボイラ側面のハンドレールの支持はキット付属のパーツを使用し、それ以外はボイラーから浮き気味についている部品は割りピン、密着している配管はu字型の帯板で固定してあります。割りピンは当初は福原金属の製品を使用し、U字型の帯板はその足の部分の切れ端を使用しました。この割りピンは各種の線径と幅のものが発売されており便利に使用していましたが、手持ちの在庫が枯渇してしまいましたので途中から幅0.3または0.4㎜、厚さ0.15㎜の帯板から作成したものを使用しています。割りピンはボイラーに開けた穴に差し込みますが、その際は割りピンの足の形状に注意が必要です。具体的には割りピンは左右の帯板の長さを変えること、穴に挿入する順番を考えて長さを変えること(最初に穴に入れる位置を最も長くし、穴に入れる順番に長さを短くする)です。これを怠ると取付時に非常に苦労することとなります。
その他の配管としては発電機からのドレン管(φ0.25)、汽笛引き棒(φ0.3)等を追加してあります。また給水管の一部には管継手を設けています。

2-6 空気作用管
空気作用間はいわば細密モデルの象徴のような存在で、かつては既製品には殆ど取り付けられてはおりませんでした。ただ、細密化加工をする場合はそれを象徴する必須の部品です。この部品はかつては完成品が市販されていましたが高価であり、なかなか手が出ないものでした。形状は製作するにはなかなか難しそうですが、私の作品の作用管はは全て自作です。そこでその製作方法を以下に示します。なお、この方法では隣接する作用管の隙間は表現できませんが、上の写真のように殆ど気になりません。モデラーにとって、空気作用管のイメージは並行して固定された作用管が継手部分で一度開いて各部へ配管されるイメージですが、実機では色々なパターンがあるようで、国立科学博物館のD51 231も継手部の開きはありません。そのほか、砂撒管へいく配管以外はボイラー下部に設置されている例もあるようですが、今回製作した作用管は典型的な5本タイプです。

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模型車両の製作:珊瑚模型店製D51の組み立てと加工(2) :フロントエンドの加工

前回、組立て前の準備作業について述べましたが、今回より各部の加工内容を部位別に紹介していきたいと思います。今回はキットに付属しているパーツの組み立て前の追加工とボイラーの前端部、フロントエンドの加工について紹介させていただきます。なお、キットの取扱説明書で説明されている部分の組み立て方法は、組み立て方法を変更している部分以外は説明を省略します。
0-1. 煙突・ドーム・安全弁台座の加工
キットに付属している煙突・ドーム・安全弁台座は、そのまま取り付けるとボイラーとの取り付け部に板厚分の段差ができてしまいますので、板厚が目立たないように加工をします、加工は台座のカーブに合わせて丸やすりを当てれば簡単に修正が可能です。
0-2. ドームへの部品の取り付け
キットのドームはネジにより固定できるようになっていますが、最終的にはボイラーに固定した砂撒管とドームに取り付けられた砂撒管元栓を半田付けする必要があります。そのためその半田付け前にドーム上にディテールを取り付ける必要があります。加工するのは砂箱部と上記ドーム部で分割されているカバーの継ぎ目とボルト、後部の手すり、砂箱蓋、砂撒管元栓、加減弁ハンドル、それに蒸気ドームの上面から突出している突起(用途・機能はわかりません)です。砂箱蓋と砂撒管元栓はキットの付属ロストワックス製パーツを使用します。ドームのカバー継ぎ目は筋彫りで表現しますが、曲面への筋彫りですのでそのガイドとなる真鍮線を半田付けしたのちそれをガイドに筋彫りを行います。この方法は前回紹介したなかお・ゆたか氏執筆の製作法の中に記載されている技法です。取り付けボルトはφ0.3㎜の真鍮線の植え込み、手摺は0.3㎜の真鍮線です。なお、砂撒管元栓等、真鍮線を接続するパーツは接続部を使用する線径のドリルで彫り込んでおくことが必要です。その彫り込み深さは部位によって変えています。この砂撒管元栓のように線を近傍で固定できるものは位置決めができれば良いので浅め(線が引っ掛かる程度)、加減弁ハンドルのように手が触れた際、線が動いて外れる恐れがある部分は深めに彫り込んでいます。

ドームは取り付け前に部材を内側から半田付けした後っボイラーに取り付けています.

0-3. ボイラ下側の配管取り付け用の穴
ボイラのランボードが取り付けられる部分の近傍の配管取り付け用の穴はランボードを取り付けてしまうとランボードどドリルが干渉して取り付け穴をボイラ曲面に垂直に開けることができなくなりますので事前の穴あけが必要です。

以降、部位別に加工部分を説明します。
1. フロントエンド
まずは前方、全部デッキと煙室付近の加工です。今回はデフレクタより前方のフロントエンドについて説明します。
1-1 デフレクタ
デフレクタは珊瑚模型店製のD 51,D61用の北海道用デフレクタです。このパーツはエッチングで表面と裏面の補強用帯がエッチングで表現されている板状のパーツで、外周は自分で切り抜く必要があります。またバイパス弁の点検穴は表現されておりません。このバイパス弁の点検口はいつ頃から開けられるようになったかは不明ですが、晩年の機体では点検口がある方が一般的だったという印象がありますので今回の機体にもこの点検口を設けることとしました。北海道型を特徴づける切り詰めデフの全てに点検口が開いているかはわかりません。ただ、蒸気機関車の角度には福知山区に所属していた切り詰めデフを装備したD51 727の写真が掲載されており、この機体のデフはカバーがついているものの、常時開口してはおりません。このD51 727は切り詰めデフであるとともに集煙装置とドーム後部に重油タンクも装備しており、そのうち特定ナンバー機としてどこかで模型化されそうな形態です。このように、前方を切り欠いたデフは、北海道固有の改造ではなく、道外でも積雪のある地域では実施されていたようです。
話が脱線してしまいますが、最近のMärklin社のカタログを見ていると、プロトタイプの説明の中に、どの時期の外観かが特定した形で記載されています(”The Locomotive looks as it did around 1965”とか)。欧州のモデルは以前からメーカーに関わらずすべての製品に年代区分(Era I-VI)の表記がありますが、最近このような表記が増えてきた気がします。欧州の製品も最近細密度が向上していると感じますが、日本とは生産数量が大きく異なる量産モデルでこのような表記が増えた背景にはユーザーの細密化指向があるのでしょうか、あるいは形態を細分化?してユーザーに購入を促す販促対応なのでしょうか。
話をデフレクタの話の戻します。下の写真はデフレクタにバイパス弁点検口を開けているところの写真です。写真はは厚さ0.1㎜の真鍮版を縁取りの大きさに切り抜きデフレクタに半田付けし、その後点検工を開けているところです。この際、縁取りとする0.1㎜の真鍮版は0.3㎜の真鍮版に貼り付けた状態で切り抜き外形を仕上げた後デフレクタに貼り付けています。厚板に貼り付けなくても細かいノコ刃を使えば外形の切断はできないことはありませんが、0.1㎜の板ともなるとノコ刃が少しでも引っかかると変形しますし、ヤスリがけも難しいため、手間はかかりますがこのような方法が必要です。穴あけ終了後は外周を切断し、上部をバイスに挟んで折り曲げます。なお、このような真鍮工作を行う際、その出来栄えを決めるのは9割が罫書きの精度だと思います。決して定規の目盛を頼りに罫書き針で罫書きを行うのではなく、前回紹介した工具の中のあるけがき用のスプリングデバイダに寸法を写して板上にマーキングし、その後罫書き線を引くことが必要です。なお、このデフレクタの取り付けはデフレクタに隠れる部品の取り付けが終わった後になります(加工工程のほぼ最後になります)。

バイパス弁の点検口を開けている途中のデフレクタ.
最後に外形を切り出してデフレクタの完成です.


1-2 給水温め機とその配管
給水温め機はキットに付属していたロスト製パーツです。給水温め機からの配管は5本あり、そのうちの3本については配管が継手部までしか表現されておりませんのでその先の配管を3本追加してあります。この追加した配管にはウイストジャパン製の布巻線を使用しました。。当時布巻線は筋をつけた線材と真鍮線に薄い帯板を巻き付けた2種類の製品が発売されていましたがこの部分に使用したのは前者のタイプです。このうちの4本は温め機から下方に伸びて煙室内に入ります。キットではこの接続部に角穴と丸穴が開いていますが、実機を見ると煙室上ににカバーが装着されており、配管はそのカバーの穴から内部に引き込まれていますのでカバーを厚さ0.3㎜の真鍮版より作成し、周囲にリベットを植え込みました。。リベットは大きめ(φ0.4㎜)にしています。取り付けた配管はφ0.6㎜の布巻線ですが、温め機後方から煙室への配管はボイラー周りの配管では一番太い径の配管が使用されています。もう少し太い線を使用すべきで、布巻管にこだわったのは失敗でした。ただ、配管のほとんどはデフに隠れる位置にあり、あまり目立ちませんのでこれは不幸中の幸いでした。下記の解放テコも含め、修正することも考えましたが、そのままとしてあります。

給水温め機付近の配管. 実物も模型もデフレクタに隠れて通常眺める位置からはあまり見えません.

1-3 解放テコ受け
解放テコ受けはキット付属のパーツを使用しました。キットのパーツはエッチング製ですのでまず断面を整形し、ベースと繋がっていたランナー状の部分を整形します。この程度のやすりがけには前回紹介したロック付きピンセットが役に立ちます。パーツにはリベットが浮き出していますのが他の部分と比較して立体感がないので、やすりで削りリベットを植え込んであります。このような小さなパーツはリベットを植え込むことにより強度が増加するとともに近傍に他の部品を半田付けする際のずれ防止にもなります。ただ、今回はこの部品の取り付け位置を間違ってしまいました。実物の解放テコの位置はもっと高い位置にあります。気が付いたのはリベットを植え込んだあとで、修正するのに手間がかかりますので今回はそのままとしてあります。リベット植え込み前でしたら簡単に修正できたのですが・・・。上記の解放テコも含め、修正することも考えましたが、あまり目立たない(レイエウト上(運転時)に実感を損なう部分ではない)部分のため、そこまで実物にこだわる必要もないと考え、そのままとしてあります。私は製作中にこのようなエラーを発見した場合はすぐには修正せず、最後に全体的なバランスを見てどうしても気になるところがあれば修正するようにしています。運転時に気にならなければあまり気にする必要はないと考えています。

解放てこの位置が実物より低い位置になってしまいました. 加工中に開放テコやステップが変形してしまっていますので最後に修正します.

1-4 デッキ部手摺
デフ前方の手すりとデッキ部分の手すりは0.4㎜の真鍮線で製作しました。デッキ部分の手すりは端梁にリベットを植え込んだ帯板を取り付け支持部を表現しました。手すりはデッキの上面に開けた穴に取り付けていますので手すりと取り付け部は繋がっておらず、よく見るとおかしいのですがすぐ上に解放テコがありあまり目立ちませんのでこのような構造としました。なお、この手摺のような手に触れやすい部分の線材は燐青銅線や洋白線といった真鍮線より曲がりにくい線を使用するのが良いと思います。デフに付けた手摺も強度確保のためランボードに穴を開けて固定しています。

1-5 スノープラウ
今回使用したスノウプラウは天賞堂製の電気機関車用を使用しています。今までは自作していたのですが、今回は手持ちのパーツを使用しました。実機のスノープラウはもっと後退角がが大きく、両端がデッキ側面のステップより後方に位置しています。また、また北海道の蒸気機関車に取り付けられているスノウプラウは端面に行くに従って上下寸法が大きくなる形状のものが多いようですが、スケール通りの形状では両端が先輪と干渉するとともに、後退角が小さいの両端の大きさが目立ち、ゴツくなってしまうにではないかと考え、割とのっぺりしている天賞堂製の電機用パーツを流用しました。なお、パーツには両端にステップ取り付け用のスリットがありますが各線で塞いでやすりで仕上げてあります。スノープラウ取り付け板は0.3㎜に真鍮版から切り出したもので、外側に帯板を半田付けしてアングル状になった形状を表現してあります。

先輪との干渉を考えスノウプラウの後退角は小さくしてあります.
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模型車両の製作:珊瑚模型店製D51の組み立てと加工(1) :組み立て前の準備

今回ご紹介する車両は最近、約30年ぶりに組み立てた珊瑚模型店製のD51です。今までこのブログで紹介してきた蒸気機関車はいずれも1982年から1990年ごろにかけて製作(キットの組立て、加工)をしたものです。その後は主にMärklin社製の製品を使用したZゲージ、HOゲージのレイアウトの製作に勤しんでおりましたので、今回の真鍮製バラキットの組み立て加工はそれ以来となります。この空白の30年間、鉄道模型を趣味として続けてはいましたがそ興味の対象は外国型のレイアウト製作という車両工作とは全く異なるものであったため、その間キット組立てに対する技術力は全く向上しておらず、実物に関する知識についても、忘れたことの方が多いような気がします。また確実に視力も衰えておりますので30年前に製作したレベルの車両が製作できるかについては全く自信がありませんでした。ただ、当時と異なり時間はたっぷりありますし、各部の工作も全く初めてではないため、当時を思い出しながら気長にやればなんとかなるのではないかと思い、製作を開始した次第です。なお、今回は製作中の車両の紹介ですので塗装済みの車両の写真のみではなく製作中の写真も交えて加工の過程を少し詳しく紹介してみたいと思います。現状、今回使用するようなバラキット自体、市場から殆ど姿を消してしまっている状況ですが、何かの参考になれば幸いです。

このD51は珊瑚模型店から1990年頃に発売された製品ですが、このキットは珊瑚模型店のD51としては最初に発売されたキットではないかと思います。当時の記憶ではナメクジドームの1次型、標準型、密閉キャブの北海道型が同時に発売されたと記憶しています。最初は一次型を購入しようと思ったのですがあいにく売り切れで、標準型を選択しました。このキットを購入した当時はこのブログで紹介したように北海道タイプの車両を製作しており、このD51も北海道タイプとすることを決めていましたので北海道タイプの車両の購入も検討したのですが、最終的に標準型を選択しました。このキットを購入した当時はすでに北海道タイプのC 55とC57が完成していたのですが、それらは密閉キャブのキット(パーツ)がなかったこともあり、CABは通常の原型タイプで製作しました。一方、このD51については密閉CABのキットも選択できたわけですが、すでに完成していたC55と57のボイラー部分の全体的なボリューム感とCABの大きさのバランスを見ると、密閉型のCABの機体は原型CABの機体に比較してやや全体のバランスが悪くなってしまうように感じます。D51はボイラーの太さや動輪径(数)も異なるため一概にはいえないものの、形態的にはC62よりもC57に近い印象ですので、バランス的には原形CABの方が良いのではないかと考えて標準タイプのキットを購入した次第です。これは多分好みの問題でしょうが、C62以外の国鉄の機関車はボイラーが比較的細いため、特にD型気においては密閉CABより大きさが小さく、扉部分に段差のない開放CABの方が似合うような気がします。近くで実物を下から見上げるとそのような印象はあまりありませんが、真横あるいは上方から見る模型であると一層そのように感じるのかもわかりません。


というわけで標準型のキットを購入したわけですが、この機体も北海道タイプにするため、そのための換装パーツを同時に購入しました。したがって今回の製作にあたり新たに購入したパーツはありません。ロストワックスパーツは当時入手可能であったニワモケイ・安達製作所・ウイストジャパンのパーツを使用しています。詳細は不明ですが北海道型のキットを選択すればデフレクタや耐寒型のロストワックスパーツを購入する必要がなく、お財布には優しかったかもわかりません。
このD51も他の北海道タイプの機体と同様、特定ナンバー機ではありません。北海道に特徴的に見られた形状から印象的な(特徴的な)部分を選択したいわば寄せ集めです。これはあくまで私の感覚ですが、特定ナンバー機の製作はいわばお手本どうりに物を作るという感覚があり、その上流にある物を設計するという楽しみが味わえないような気がします。
そのために参考にする資料ですが、雑誌等に掲載されている北海道タイプの機体の写真は意外に少ないように感じます。北海道のC62はあまりに有名な存在で資料が豊富にありますが、D51は晩年まで道内各地で見られ、胆振線で使用されていた9600のような特徴ある装備の機体もあまりなかった形式のためでしょうか。今回も細部の形態は機芸出版社発行の”蒸気機関車の角度”を参考にしましたが、ここに掲載されている機体も北海道の機体は少ないように感じます。反面、東京近郊に保存されている蒸気機関車は最晩年まで働いた北海道タイプの車両が比較的多いように感じます。東京の上野野国立科学博物館にある機体も北海道タイプです。D51ではありませんが羽村市の羽村動物公園内には北海道で活躍した戦後型のC58も保存されています。なお、”蒸気機関車の角度”に掲載されている写真は主に1960年から1970年いかけての写真ですが、この10年程度の期間で見ても各部の装備には各形式に共通した差があるようです。この辺りを考証しながら各部の詳細を決めていくのは私にとっては面白い作業です。なお、写真を参考にする際はその機体ががATS装備前か装備後なのかを確認することが重要ではないかと思います。また、各部の形状、特に配管を検討するためには実物の配管の概要を知ることが必須になります。


私が実機として参考にしたのは東京の上野野国立科学博物館にあるD51 231で、この機体は今回の作品と同じ北海道タイプの切り欠かれたデフを装備した原型CABの機体です。ただ、私が写真を撮影した当時は無料のエリアの中で展示されたいましたが現在はそこは有料の区画になってしまっています。またキット組み立てに関して参考とした資料はTMS誌の1974年1月号から6回にわたって掲載された なかお・ゆたか氏執筆のD51製作法です。この記事は当時発売されていたアダチ製作所製の分売パーツを利用した組み立て記事です。この記事は主台枠を組み立てるところから塗装までが解説されていますが、今回使用したキットは主台枠等、精度が必要なな部分は組み立て済みであり、また組み立て用の治具も同梱されているため、この分売パーツからの組み立てより簡単ですが各部の調整、チェック方法等、参考になるところは数多くあります。また、記事の機体の細密度は現在のレベルから見れば決して細密モデルというものではないものの、雑誌に掲載される組み立て法の解説ということもあり、ある程度簡略化しながら当時の製品にはない細密感を得るための加工部位とその加工法が述べられていますので非常に参考になります。当時は市販品に比較してある程度細密なモデルを制作しようとすると自分で加工するしかなく、この記事は非常に有益なものでした。現在雑誌にこのような記事が掲載されていないのはモデラーの指向が変化したからなのでしょうか。

前置きが長くな理ましたがそれでは以降、私が実際に行った作業の過程を少し詳しく説明してみたいと思います。何かの参考になれば幸いです。

  1. ドキュメントの準備
    私は製作にあたり、加工部分の詳細な図面は製作していません。詳しい図面を書いても配管等は曲げの精度の関係でどうしてもズレが出てきますし、特に奥行き方向の各部品(配管)の位置は写真の印象を現物合わせで再現した方が良いと考えているためです。そのため、今回制作前に用意したドキュメントは以下の3枚です。いずれもキットの組み立て説明書に掲載されている図面をコピーし、そこに情報(寸法)を追記したものです。

1枚目は追加工部分をリスト化したもので、追加するパーツと配管を記載しています。一応配管の線径を記載していますが、実際の工作の場面で変更する場合もあります。最近の雑誌等には実機の配管の直径が記載されているものもありますが、なかお・ゆたか氏も上記の記事で述べておられるようにHOスケールの大きさのモデルの場合どんなに頑張っても板厚はほぼ全ての部分でオーバースケールになりますので、それらとのバランスを考慮しまがら最終的には現物合わせで決めていくことが必要かと思います。とは言っても組立て前に図面に基づき加工しておかなくてはならないところもあります。残る2枚はその部分の図面です。下の2枚目の図面はランボードの継目を表現するスジやリベット、配管用の穴の図面です。C 57,C55等はカツミのキットを使用しましたが、ランボードは組み立て済みでしたのでこの部分の加工は結構苦労しました。このキットはランボードは治具によりボイラーに組み付けますので、この段階で加工をすることにより作業が非常に楽になります。同様に、CABの前方妻板も組み立ててしまうと穴あけが非常に難しくなりますのでこの段階での加工が必要です。前記のカツミのキットはCABも組み立て済みであったため穴あけには所謂”反り開け”(細軽ドリルを湾曲させながら穴あけする)が必要であり、加工には非常に苦労しました。3枚目の図面はこのCABの前妻の穴位置を記載した図面です。

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欧州の鉄道模型(HOゲージ)の小径カーブ通過対策の実例

前回の記事で、ひかり模型のキットを組み立てたEF58を紹介させていただきましたが、記事にあるようにその試運転は手持ちのエンドウ製ニューシステム線路の半径805㎜のカーブで実施しました。その後、KATOのWeb Siteをチェックしたところ、KATO製のEF58の通過可能なカーブは半径550㎜であることがわかりました。私のように長年(TMS主筆の山﨑喜陽氏ご存命の時代から)鉄道模型で楽しんでおり、氏が雑誌の中で頻繁に述べておられたおられた”鉄道模型は走らなくては意味がない”という言葉に接していた者にとっては、もし私の製作したEF58が通過可能である最小カーブ半径が805㎜であったらちょっと寂しい感じがしたのも事実です(本当にこれで走る鉄道模型と言えるのかという感覚です)。そのような折、ふと以前に欧州Roco社のRoco Lineというレールを購入したことを思い出し、久しぶりに取り出してみると、そのカーブはR6というサイズのカーブで、半径が604.4㎜でした。以前から半径600㎜は大型機の通過可能カーブ半径の基準となっていたと思います。そこでこの線路上でこのEF58を運転してみたたところ、なんとか無事に通過できることがわかりました。今回用いたひかり模型のEF58キットは珊瑚模型店製のF級電気機関車用の動力装置の使用が指定されていましたのでこの指定の動力装置を使用すれば当然半径600㎜はクリアーできる設計にはなっていたとは思うのですが、このEF58は歌川模型製のUギヤーと縦型モーター(KTM D V18C)を使用しており、その検討の際、特に通過可能な最小カーブを意識して検討していなかった(最初に製作した時も上記のR805を通過したのでよしとしてしまった)ので、結果オーライではありますが、大袈裟にいうとこれでようやくこのE F58も鉄道模型の仲間入りを果たせたかなと思った次第です。

半径604㎜のカーブ上のEF58

上述のように最初に製作した時にあまり気にならなかった通過可能なカーブ半径が今回気になったのはその間に私が欧州製の鉄道模型を走らせて楽しむ様にになったからかもわかりまん。今回使用使用したRoco社の線路(発売当初はRoco Lineと称していましたが今はその名称は使用されていないようです)は現在R2からR10 までの半径が用意されているようで、その中ではR6は比較的大きな半径です。ちなみにR2は358.0㎜、R4は481.2㎜、R10は888㎜です。また私が最近運転を楽しんでいるMärklin社の一般的なレール(C Track)は最小カーブの半径R1が360㎜、最大カーブがR5の643.6㎜で、それ以上大きなカーブはラインナップされておりません。ちなみにMøarklin社の製品はほとんどの車両がMarklin社の規定するR1(半径360㎜)カーブを通過できます。一方、Roco社の大型蒸気BR01の最小通過可能カーブはR3の419㎜です。また日本の天賞堂製のダイキャスト製D51、EF58の最小通過可能なカーブ半径は550㎜のようです。ちなみに 日本では他社製の模型も含めて数十万円する真鍮製のモデルには最小通過カーブ半径の記載はあまりありませんし、雑誌の製品の紹介欄にもあまり記載されていません。プラ製の蒸気機関車でもWEB SITEを少し見ただけでは通過できるカーブの最小半径がわからない製品もあります。レイアウト上での運転を前提とする鉄道模型であれば、最小通過カーブ半径はそのモデルをレイアウトに入線させるか否か(購入するか否か)を判断する最重要スペックだと思うのですが、このことは日本のHOゲージが運転を重視していないことの表れでもあると感じ、少し寂しく思います。欧米では模型の車両限界が照準で規定されていますが日本ではそれも明確ではありません。
小さなカーブを通過する大型機を実感的ではないと感ずる方は多く、私もその一人であった様な気がします。下の写真はR805とR604カーブを通過するEF58ですが、車体と台枠位置(つかみ棒の位置)たがかなりずれているのがわかります。ただ、この程度はやむを得ないものと割り切る必要がありますし、実際に走っている姿を見ればあまり気になりません。

カーブ上のEF58 (R604)
カーブ上のEF58 (R805)

レイアウトを設計する場合には運転位置からはなるべくカーブの外側が見えないようにトンネル、地形、建造物等を配置することができますし、何より有益なのはStaging Yard(隠しヤード)のスペースが小さくて済むことです。この様な目に見えない場所では安定した走行さえできれば使用するカーブ半径は問われません。ただ、Staging Yardやトンネルは、車両へのアクセスのしにくい場所に設けられますので、ただ通過できるというレベルではなく、脱線やカプラーに自然解放がないよう、設置された線路の線路状態のばらつきも考慮した上でのカーブでの安定的な走行が必須になります。
レイアウトプランの中で小カーブを使う効用と日本型モデルがどの程度のカーブを通過できるかという記事は過去のTMSに故・水野良太郎氏がイラストを交えて紹介していた記事があったように記憶しています。そこで今回は、少し視点を変えて、最近の欧州製の車両がどのような機構で小カーブを通過できるかということを私の手元にある車両で紹介してみたいと思います。
まずは蒸気機関車です。日本の蒸気機関車はC型機とD型機が殆どで、E型の大型機はE10と4100程度であるのに対し、欧州では大型のE型機は結構多くの機種がありますし、日本のC62の動輪より大きい直径の動輪素備えるD型機もあります。その中で、手元にあるE型機は下記のBR50とBR85ですが、まずBR85の小径カーブ通過対策を紹介してみたいと思います。

Märklin製のBR50 (#36840)
Märklin製のBR85 (#37097)

このうちBR85を裏返してみると下記の写真のように動輪は前3軸を支持する台枠と後2軸に分割され、ピンで結ばれています。そして各動輪はロッドではなくギアで駆動されています。そして動輪の回転方向を揃えるためのアイドラーギアが動輪間に存在しています。その中で、関節のある第3動輪と第4動輪の間のアイドラーギアは後ろ側の台枠の二つの動輪の中心を結ぶ線上に位置しその軸の両側にギアが取り付けられており、そこで動輪軸のギアが反対側に移ります。そしてカーブの通過に伴って第3動輪、第4動輪のギアと後ろの第枠に取り付けられたアイドラギアの間の軸間距離と当たり角度が微妙に変化します。

BR85の下回り. フレームが2分割されピンでつながれています.

この際、カーブ通過に伴い第3動輪と第4動輪の軸間距離も変化しますが、その変化はサイドロッドのクランクピンに嵌まる穴を長穴にすることにより吸収しています。ギアの軸間距離や軸の並行度の変化を許容し、サイドロッドのクランクピンには丸穴を長穴にする等、日本型の模型の設計に比較すると結構大胆な設計となっていますが、通常の運転には支障なく、またカーブ通過時に走行音が変化することもありません。そして、この構造はテンダー機であるBR50でも同一の設計となっています。

サイドロッドに開けられた穴は軸間距離の変化を吸収するために長穴となっています.

このように、欧州の模型では曲線通過性能向上のための大胆な設計となっています。この実例は Märklin車の製品の例ですが、Roco社のモデルもE型機は台枠の関節構造を採用していると思われます。ちなみにRoco社のBR50が通過可能な最小カーブはカタログでは半径358㎜となっていますが、関節構造の台枠を使用していないと思われるC型のBR01の通過可能な最小曲線半径はは419㎜です。
一方、下記の写真はD型のBR39です。この機関車は旧プロイセン王国鉄道のP10で、日本のC62等と同じ直径!,750㎜の動輪をもつD型機です。よって当然日本のC62より固定軸距歯長くなっていますが、この機関車も半径360㎜のカーブを通過することが可能です。こちらの機関車の台枠には関節はなく一体構造ですのでてこの機関車の固定軸距はE型よりも長くなっています。このモデルの最小通過可能曲線半径も360㎜ですが、上記のRoco車の例からもわかるように、欧州の蒸気機関車の模型で一番カーブ通過が厳しいのは固定台枠のD型機ではないかと思われます。

Märklin製のBR39 (#39395)

このBR39のカーブ通過対策は動輪の横動で行っています。第1、第4動輪はほぼ横動がありません(横動の量は日本の模型と同レベル)が、第2、第3動輪にはかなりの横動が与えられています。その写真が下の写真で、接地面を左右変えて動輪位置を撮影すると、その量が大きいところがわかります。また、上下を変えると動輪はほぼ動輪の自重で変位します(クランクピンとロッド穴の抵抗により異動しない場合もありますが少し手で押せばすぐに変位します)。

D型機の第2動輪と第3動輪にはかなり大きな横動量が与えられています.
横動する際の抵抗はほとんどありません. 上下逆にすると動輪ほぼ自重で移動します.

また、第2動輪と第3動輪は上下にも変異しますが、この上下左右の動輪の変異に対応するために第2動輪と第3動輪のクランクピンとサイドロッドの穴の隙間はかなり大きくなっています。これは第1、第4動輪も同様です。またサイドロッドは一体(一個の部品)で全ての動輪を繋いでいます。我々が通常製作する模型の構造でははサイドロッドの長さ、左右の動輪の位相が少しでもズレると走行性能に大きな影響が出てしまいますが、この構造であればその影響はあまりないと思われます(だからと言って部品の精度を落としているとは思えませんが)。

全ての動輪は1枚のサイドロッドで結ばれており, クランクピントはルーズな嵌合となっています.
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模型車両の紹介:ひかり模型製のキットを使用して製作したEF58の紹介(2)

前回は(1)として、下回りのレストア作業の内容を紹介させていただきましたが、今回は第2回目として、床板を含めた車体のレストア作業の内容を紹介させていただきます。

レストア作業とは言っても車体には大きく損傷しているところはありませんでしたので、作業内容は細部の修正とディテールの追加作業となります。このキットの車体は0.4㎜厚の真鍮プレス製で、前頭部は絞り加工の運転台窓周りと窓下のプレスパーツを組み合わせる構成となっていました。製作した当時は整形に結構苦労をした記憶はありますが、前頭部の形状については大きな不満はなかったため今回その部分の加工はしておりません。ただ、運転台の側面窓は天地寸法が大きいように感じたため下辺を持ち上げて天地寸法を小さくする加工を行いましたが、改めてチェックすると少し小さくしすぎた感があります。またその部分の継ぎ目処理が不十分で、塗装後に気がつきましたが、そのまま継ぎ目の目立つ状態になってしまったことは悔やまれます。また、当時屋根から前面に繋がる部分の曲面は写真を見ながら形状を仕上げていきましたが、当時は日立製の機体とその他メーカーの機体でこの部分の曲面の形状が異なっているという知識がなかったため、それを意識した写真のチェックができず、少し中途半端な形状になっている気もします。ただ、結果的には日立製以外の機体の形状に近くなっているようです。
(1)でも記載しましたが、車体のタイプはSGを装備して東海道線で運用されていたタイプとしました。手元にはそのタイプの機体の全体を写した写真はないのですが、全体的なイメージとしては下記の宇都宮機関区の機体から電気暖房作動警告灯、汽笛カバーを取り外し,運転台窓ガラスをHゴム支持ではなくしたイメージです。

東大宮の留置線に停車中の宇都宮機関区所属のEF58 144. 当時東北・上越線で活躍する機体は東海道本線を走るエアーフィルターが原型タイプの機体が多かったような気がします。
根府川付近を東上する臨時急行”銀河51号”を牽引するEF58 143. . 機番は上記の144号機と1番違いですので形態は上記の144号機とほぼ同じです. エアーフィルターを除くと今回のモデルはほぼこの形態です..

また、EF58の車体の特徴の一つに、SGが搭載されている(いた)関係上、屋上機器の配置が前後方向の車体中心線に対して非対称であることが挙げられます。通常、パンタグラフは台車の回転中心(芯皿位置)と一致していますが、EF58は片方のパンタグラフが芯皿位置からオフセットしています。したがって屋上のパンタグラフ付近を撮影した写真を参考にする際はどちら側のエンドの写真かを確認する必要があります。
前置きが長くなりましたが以下、具体的な改修内容を紹介させていただきます。まずは床板です。床板は最初はキットの床板をおのまま使用していましたが、今回は運転台下の床板と台車を取り付ける中央部の床板に3分割しました。そのうち運転台下の床板は0.3㎜の真鍮版から切り出し、車体にねじ止めしてあります。中央部の床板はキットのパーツを加工したものを使用しています。

床板は中央部と運転台下で3分割してあります.

旧型電機の床板に取り付ける部品の中で、まず検討が必要なのが中央部に取り付けられたエアータンクと主台車枠の接触によるショート対策です。このキットはエアータンクの主台車枠と接触する部分の担いバネは省略されており、その部分のエアータンクの裏側が切り欠かれており、それなりのショート対策はされているのですがそれでは十分ではありません。そのため、さらなるショート対策を行う必要があります。このショート対策としてまず考えられることはエアータンクを床板から絶縁することですが、それでは対策にはなりません。その理由は2個のエアータンクを結ぶ配管の存在です。この配管に金属を用いるとカーブで両側のエアータンクに互いに極性の異なる主台車枠が接触するとショートしてしまいますのでショートの確率は下がりますが完全なショート防止対策にはなりません。最近はEvergerrn社から細軽のプラ製ロッドも発売されており、エアータンクを繋ぐ配管をプラ棒にすることも考えたのですが、部品点数が多くなり組立も面倒になります。そのため、結局最初に製作した時と同様に、エアータンク裏にテープを貼って絶縁することとしまいました。というわけでこの部分に前作からの進歩はありません。強いて言えばテープをメンディングテープからより耐久性があり絶縁性や潤滑性に優れているテフロンテープに変えたことでしょうか。このテフロンテープはロールで購入すると1巻数千円から万の単位がする非常に高価なものですが、シート状のものが販売されています。シートは割高ではありますが色々なところに使用できますので購入して損がないような気もします。ただ、将来テープ以外の方法も可能になるよう、エアータンク両端の配管も絶縁できるよう、配管は床板に直接ハンダ付けせず別体とし、ねじ止めでで取り付けています。その他、台車の回転中心のところには枕梁の端面を表現する部材を追加しました。この枕梁は手持ちの真鍮、洋白の帯板で製作しています。この部材は台車の回転中心の車体側面に近い位置に取り付けますのでこの部材と台車枠とのショート対策は不要です。

キットの床下中央部のエアータンクは2体構造でしたが、左右をつなぐ配管を追加した上で一体化してあります.
両側の配管は別部材に取り付けて床板から取り外し可能としてあります. また、台車の中心ピン(芯皿)横には自作の枕梁の端部半田付けしています

また、今回は新たに台車の回転中心となるセンターピンのブッシュを新作し、今までのものと交換しまました。この部分は今まで床板とボルスターを絶縁するための段付きワッシャを使用していたのですが、台車の梁との接触面積が小さいため車体の揺れの原因の一つとなっていました。構造は金属床板に取り付ける付随車用のセンターピンと構造は同一ですが、厚さの薄いパーツがなかったためプラ板とEvergreen社製のプラ製パイプから自作しました。材質はスチロール樹脂ですが特に力がかかるわけではないので強度の高い材料を使用しなくても支障はありません。絶縁用の段付き付きワッシャは市場にはあまり流通していないようですが、今回比較的簡単に製作可能であることがわかったことは今回の収穫でした。

円形に切り出したプラバンに外径3.2㎜のパイプを接着します.
突起部に内径3.2㎜のワッシャを嵌めて突起部の高さを所定位置まで削り、全体の形状を整えれば完成です.

そうして完成した下回りの全体写真が下の写真になります。

下回りを構成する部品


上記の部品を組み立てた後、車体を載せない状態で状態で十分な試運転を行い各部のチェックを行います。今回特に大きな問題はありませんでしたが動輪が可動式ではないため車輪のレールへの追従製は劣り、牽引力に多少の影響がある気がします。また、カプラーが車体ではなく主台車から伸びた台枠の前方についていますので、重量のある客車を牽引する際はその抵抗が台車の回転中心周りのモーメントとなるため、客車を連結して運転する際はカーブでは少し脱線しやすくなる傾向があります。したがって状態が悪い線路での走行が少し心配ですが、この部分の改造は駆動系全てを新規に製作する必要があるので今回はそのままとしてあります。
次に、車体の改修内容について説明します。とは言っても車体は今回、ディテールの追加や部品交換による細密化はほとんど行っておりません。現在は当時に比較して細密なパーツも発売されていますが、車体にはキットのパーツをそのまま取り付けていますので全体的に線が太く、下手にパーツを交換すると全体のバランスが崩れてしまう可能性があると考えたためです。部品の追加を行ったのは主に屋上ですが、それも避雷器周辺の配管とパンタグラフへの空気配管を追加したのみとしています。今回は両側とも初期のパンタグラフ近傍に取り付けられている原型のタイプとしました。前述のようにパンタグラフの位置が車体中心に対して非対称の位置にありますので両エンドで配管の引き回しが異なります。避雷器は改修前に取り付けられていた挽物製の円筒形タイプのものを使用し、取り付け台を介してネジで取り付けています。パンタグラフは当時発売されていた珊瑚模型店製のPS14のバラキットを組み立てたものです。この当時から現在までパンタグラフのバラキットはこのPS14以外あまり見かけません。当時、当然パンタグラフの組み立ては初めてでうまくできるか不安はありましたがなんとか当時の市販品と同じレベルには仕上げることができました。構造は当時一般的であった突起のついた板を折り曲げた部品を関節に用いるタイプです。屋根状のホイッスル、発煙等も挽物製の部品を使用しています。先頭部の飾り帯はキットのよう剥製パーツを使用し、塗装後に接着で取り付けてあります。以下に下回りを含め、各部を写真で紹介します。

上回りと下回りを分離したところ. ウエイトは適合する大きさの手持ちがなく未装着ですが、平坦線であればのカーブを真鍮製8両編成の客車をR805のカーブでも牽引可能です.
下の実物写真と比較してこのキットの全体的なイメージはEF58のイメージをよく再現していると思いますが, パンタグラフが少しオーバースケール(線が太いため?)な印象があります.
東北本線で臨時急行列車を牽引するEF58 49(1981年頃 東大宮付近にて)
珊瑚模型店のバラキットを組み立てたPS14. 外側の上昇バネはダミーで, 上昇用のバネはこの時代以降のパンタと同じ位置についています. パンタ周りには今回避雷器からの配管, パンタ上昇用の空気管を追加してあります.
先台車には自作した可動式スノープラウ取り付け板, 横梁, ステップを追加してあります. ヘッドライト, 窓の水切り, つかみ棒等はキットのパーツをそのまま使用していますが少し線が太い印象です.
乗務員ドア後方のステップの蹴込みはキットでは表現されていませんでしたので追加工を行なってあります。写真で見ると深さが実物より深いようです. 主台車枠のブレーキロッドh主体社枠より外側にあります. 主台車枠にはキット付属のホワイトメタル製の砂箱を塗装直前に接着剤で取り付けます.
キットの主台車枠はエアータンクとラップする位置の担いバネは省略されています. 側面から見るとエアータンクと主台車枠の間にわずかな隙間がありますが, 車体の揺れ等によるショートが発生しますのでエアータンク下側にはショート防止のためのテフロンテープを貼り付けてあります.

最後に塗装とレタリングについて。塗色はクリーム1号と青15号の標準的な塗色としました。一瞬ぶどう色も考えたのですが、ぶどう色にすると最晩年のイベント用機関車のようになってしまうような気がしてやめました。最近引退直前に国鉄色になる国鉄時代の車両が話題となりますが、私が模型を製作するときの車両のイメージはイベントとは関係なく連日「普通の」乗客を乗せて走っていた姿です。その頃を知るせいか最近復活する国鉄色の車両の写真をわざわざ撮影しに行く気にはなりません。ただ、最近の国鉄色に戻る車両を見るにつけ、工業デザインの世界において、形状と色をトータルで考えることの重要性を思い知らされます。最近の国鉄時代を知らない若い鉄道ファンの方も国鉄色の国鉄車両を「かっこいい」と思うのはその現れなのでしょうか。使用した塗料はマッハ模型の調色塗料です。真鍮製車輌の塗装を行う者にとってはこの塗料を製造していたマッハ模型が廃業してしまった時にはどうなることかと思ったのですが、最近IMON社製で再発売されたので一安心です。今回プライマーはIMON社製の密着バインダーを初めて使用しましたが特に問題はないようです。ただ、私が長年模型を製作してきた中で模型用のプライマーとして一番強力なのはかつてマッハ模型から発売されていた緑色の「エッチングプライマー」のような気がします。最後にナンバーを取り付けますが、ナンバーは、キットに付属していたものが紛失してしまっていました。購入も考えたのですが、結構高価ですので今回は手持ち部品を極力使用して見ようということでかつて発売されていた「切り抜き文字」を使用しました。ただ、車体にハンダ付けする自信は全くなく、材質も磁石にくっつくのでステンレス製らしく、専用フラックスを使用してもハンダがうまく流れるかもわかりませんでしたので今回は失敗覚悟でエポキシ接着剤とメンディングテープでナンバーシール?を製作してみました。具体的にはメンディングテープに透明度の高い(という能書きの)エポキシ系接着剤を薄く塗布してそこに切り抜き文字を固定する方法です(インレタでデカールを作る方法のと同じような?手順です)

ステンレス製?の切り抜き文字パーツ(メーカー不詳(ひかり模型製?)とメーカーズプレート(だるま家製)
製作中のナンバープレート

結果は写真のとおりです。前面のクリーム色(明るい色)ではテープはあまり目立ちませんが側面(艶消しの濃い色)ではテープの地肌が目立ってしまっています。結果は「無いよりはマシ」という程度ですが、紛失した部品を再度捜してみようと思い、当面このナンバープレートを使用することとしてあります。メーカーズプレートは上の写真のように手元にあったディーゼル機用のものの色を一度剥がして青で再塗装して作成しました。塗装の剥離には溶剤とマッハ模型製のキサゲ刷毛を使用しています。また、塗装後の塗装剥がしの際、ロゴの自体がなるべく大きい方がよいかと思い川崎製のプレートを選択し貼り付けてありますがナンバーと製造メーカーは実物通りではありません(実際の136号機は日立製です。また前述のように日立製の機体はこの模型とは前面の「おでこ」の印象が異なる機体です)。というわけで完成した車両は昔風に言えば「運転本位の模型」ということになりますが、私が今まで製作してきた蒸気機関車や60番台の直流電機、70番台の交流電機とは眺めても走らせても違った趣があります。また、レストア作業とは言え工作の楽しさも味わえたようにも思えます。
最後に走行中の動画を紹介したこの車両の紹介を終わります。走行音は大きいですが海外製のサウンド付き車両を運転していると静かに走る機関車にかえって違和感を感じてしまう今日この頃です。
最後までお読みいただきありがとうございました。このEF58が牽引する客車については後日紹介させていただきたいと思っております。

走行電流は9Vで約1Aです.

模型車両の紹介:ひかり模型製のキットを使用して製作したEF58の紹介(1)

今回紹介する車両は以前発売されていたひかり模型製のキットを使用して製作したEF58です。この車両は80年代後半に製作した後、一部が破損し走行不能となっていた車両を最近レストアした作品ですが、今回はその第1回目として下回りのレストアの内容について紹介させていただきたいと思います。

EF58は言わずと知れた戦後製造された日本を代表する電気機関車の一つですが、この模型を最初に製作した80年代、EF58は東北・上越方面の夜行寝台急行列車を始めとした客車列車、東海道方面の荷物列車の牽引に活躍していました。そして70年代終わりに東北本線からEF57が引退した後は首都圏の中央線を除く直流電化区間のブルートレイン以外の客車列車や荷物列車ほぼ全ての牽引を担っていました。このため当時首都圏で見る機会は多く、首都圏を走る客車列車を模型で再現しようとするとどうしても欲しくなる形式で、この模型もそのような経緯で製作したものです。

1970年代、東京機関区には多数のEF58が配置されており、その姿は山手線の車窓からも見ることができました.
夜行寝台急行列車を牽引して上野に向かうEF58. 東十条駅付近の陸橋より撮影.

このキットは80年代に発売されていた製品で、車体キットと台車キットが分割されて発売されていました。車体キットの箱には¥9,550というラベルが貼ってあります。動力装置は珊瑚模型製のF級電機用が指定されていたと思いますが、この作品は当時発売されていた歌川模型製のUギヤーという軸間距離が可変の3軸タイプのインサイドギアーと縦型モーターを使用しています。製作したのは今から40年近く前の1980年代中頃と記憶していますが、台車まわりが破損して走行不能となっていました。その後塗装を剥がして破損した部品を外した後、再組み立てを計画していたのですが、そのままの状態で最近まで放置されていました。いわゆる「旧型電機』は主台車前方に台枠が伸びており、先台車を装備しているため模型としても台車周りの構造が複雑です。またEF58は主台車枠下方の線路に近い部分に主台車枠の全長にわたりブレーキ機構が取り付けられているため線路の上に乗せる際にその部分に触れやすく、それらが破損したことが修復が必要になった主な原因でした(ちなみにEF58,EF15以前の電気機関車のブレーキロッドは主台車枠の上部に取り付けられています)。今回はその経験を活かし、ある程度強度にも考慮して再組立を行いましたので今回その過程を紹介させていただきます。

修復前の状態. 破損したブレーキシューは取り外され, 写真では分かりませんが 台車枠に半田付けされた一部の部材が外れかかっています.

EF58の車体は晩年、いろいろなタイプ(外観)の車両がありましたが、レストアにあたり、まずどのようなタイプで製作するかを検討しました。前述のように最初にこの模型を製作したときはまだEF58は現役で、私にとってのイメージはは東北・高崎線方面で夜行寝台急行列車を牽引する姿ですが、今回は晩年の「くたびれた」旧型客車を牽引する姿よりもう少し遡って東海道線の夜行寝台急行を牽引していた姿を再現する(できる)形態で製作したいと思い、東海道線で運用されていたタイプとしてSGを装備して(側面の電気暖房動作時警告灯がなく)前面は大型のつらら切りがなく、汽笛カバーやスノウプラウが装着されていない姿にすることとしました。なお、特に特定ナンバーにこだわっての製作はしておりません。
修復にあたってはまず、主台車枠周りを修復し、走行可能の状態にします。この製品の主台車枠とブレーキシューは真鍮ドロップ製ですが、ブレーキ機構はキットのは含まれておりませんでしたので修復前もも自作の部品を取り付けていました。EF58はブレーキが片押し式であり、それまでの機種に比較して構造は比較的単純で、主台車枠前方(運転室側)にあるブレーキシリンダーから3箇所のブレーキシューにロッドを繋ぎ、そのロッドで各動輪のブレーキシューを作動させています(動作させる際の力のバランスやブレーキシューの摩耗等を考慮してロッドは一本ではなくブレーキシリンダと各ブレーキシューがブレーキテコを介して複数のロッドにより連結されています)。これらの機構は主台車枠の下部、ほぼ全長にわたり取り付けられています。

EF58のブレーキ装置. 主台車枠の先端(運転室より)のブレーキシリンダーから伸びるブレーキロッドで3箇所のブレーキシューを動作させるという蒸気機関車に似た比較的単純な構造です(鉄道博物館で撮影).
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作品の台車周りの破損の状態を見ると、破損の原因は台車周りの部品の取り付け強度が全体的に不足していたためと考えられました。このキットの主台車枠は真鍮ドロップ製ですが、この主台車枠に取り付ける真鍮ドロップ製のブレーキシューや台車枠の左右を結ぶ梁も比較的熱容量の大きな部品です。そのためこれらの部品を主台車枠にハンダ付けする際、前に取り付けられている部材のハンダの緩みによるずれや脱落を防ごうとすると、後からハンダ付けする部分を十分に加熱することができず、結果十分な量のハンダを各部材の接合部に流すことができなかったことで強度不足となり、それが破損の原因になったと考えられます。
そこでこの対策として、今回はブレーキシューを主台車枠に取り付ける際の固定方法をハンダのみの接合ではなく、真鍮線の植え込みも併用して主台車枠にハンダ付けし、その近傍に他の部材を取り付ける際、万一ブレーキシューを取り付けた半田が緩んでも、主台車枠に取り付けたブレーキシューの位置がずれないような対策を施しました。この対応により、ブレーキシューへの部品の取り付けや主台車枠に左右を結ぶ梁を取り付ける際、万一ハンダが溶解気味になったとしてもブレーキシューのズレが防止できるため、その近傍に部材を固定する際、固定部を十分に加熱してハンダをを流すことができるようになり各部の強度の確保が可能となりました。ブレーキシューには1個当たり2本の真鍮線をを埋め込んで回転方向のずれも防止してあります。台車枠へのブレーキシューの取り付けが終了し、車輪とのショートがないことを確認したら、台車枠の左右を結ぶための部材を取り付けますが、この部材は厚さ0.8㎜、幅6㎜の帯板を使用しました。この部材は台車枠の感覚を正確に保つため台車枠とは「イモ付け」で取り付けてあります。強度的には少し不安ではありましたが、外からは見えない部分ですのでたっぷり半田を流すことができますので半田のみで強度を確保することとしました。万一工作の途中で接合部の強度に不安があれば対策を考えることとしましたが、完成までそのようなことはありませんでした。また、修復前は片方の台車枠には台車枠の幅と同じ長さの梁を取り付けて台車枠の幅を決めていたのですが、部材の長さを短くすることにより取り扱い時に接合部にかかるモーメントを減らすため、梁を3体構造とするというという設計上の対策も行なってあります。

主台車枠に部材を取り付けたところです. ブレーキシューは1個あたり2本の真鍮線を埋め込み,はんだ付けし, 両端の部材はイモ付けで固定しました.
ブレーキ機構を取り付ける前の台車枠です. 車体中央部側の部材は今まで片方に幅を規定する長さの部材を取り付けていましたが, 取り扱い時の破損を防止するため今回は3体構造としてあります.

取り付けが終了したら台車枠を枠上に組み上げ、ブレーキシューの下端にブレーキてこ取り付け用のブラケットを取付けます。前述のようにこの部分は運転時に触ってしまうことが多く、最初の組み立て時にはブレーキシューとブレーキテコがこの部分がイモ付けであったため強度不足による部品の外れが発生したため、この部分はブラケットによる補強を行いました。このブラケットの形状は下の写真の形状のもので、2×2㎜のアングルより作成し、下面をブレーキシュー下端に合わせて取り付けます。この際、台車枠を箱上に組み当ててハンダ付けを行うと部材の保持が容易となり、ブレーキシューに植え込んだピンの効果と相まって充分な量のハンダで固定することができました。

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鉄道趣味を50年続けて思うこと(4):鉄道と音楽

前回のデジタル制御に関する記事の中で、映像に挿入される音楽について少し触れましたが、今回は映像に挿入される音楽以外も含め、鉄道と音楽について感ずることを記載してみたいと思います。とは言っても私は根っからの『理系人間』であり、音楽(音楽史)等を学校以外で学んだことはほとんどありません。ただ、子供の頃から家の中には音楽が流れていることが多かったため、子供の頃から比較的音楽は身近な存在であり、学生時代から音楽はよく聴いていました。当時から音楽のジャンルは問わず、なんでも聴いていたように思いますが、最近は歳のせいかクラシック音楽を聴く機会が増えたような気がします。
最近日本では鉄道開通150年が話題となりましたが、クラシック音楽の本場?である欧州大陸のドイツに鉄道が開通したのが1835年ですのでもうすぐ開通190年となります。私が学生時代の1985年がドイツの鉄道150年で、その時現地では保存されている歴代車両(レプリカ含む)のパレードが行われ、日本でも結構話題になりました。日本でも鉄道150年のイベントは各所で行われましたが、日本ではそのような保存車による大きなイベントができるような環境は全くなく、少し残念に感じたものです。それはさておき、ドイツで鉄道開通した1935年、流石にバッハやベートーベンはいませんでしたがシューマン、ブラームス、リスト等の作曲家の生きた時代には鉄道は確実にあったことになります。このように考えると一口にクラシック音楽と言ってもそれが制作された時代は長期にわたっており、現在我々が親しんでいる楽曲の中にも鉄道開通後に創作されたものが多くあるということがわかります。Wikipediaによればシューマン(ロベルト)の活動期間は〜1856年、ブラームスは〜1897年、リストは〜1886年である一方、ドイツでは1855年には鉄道営業キロが8,000kmに達していたようですので、この時代の作曲家と鉄道の接点は確実にあり、彼らは演奏旅行等で鉄道も利用したのではないかと思われます。下の写真は1863年から1871年にかけて製造されたthe Bavarian State RailwaysのClass B VIと1880年から1895年頃の客貨車のMärklin製のモデル(337975+#43985)ですが、彼らもこのような列車に乗車したり、眺めていたのでしょうか。ちなみにMärklin社が鉄道模型を最初に製造したのは1891年、Oゲージモデルの製造が1895年とのことですので、ブラームスの活動期間の最後の頃になるようです。

the Bavarian State RailwaysのClass B VIが牽引する1890年ごろの客車. 機関車はC型機のように見えますが先頭の車輪は従輪で、実はB型機です.

ただ、私の知る限りこの時代の音楽の中に鉄道がモチーフになったと思われるものはありません。1941年生まれで鉄道好きであったと言われるドボルザークにも鉄道をテーマにした作品は無いと思われます。、当時。鉄道の出現と普及は人々の生活に大きな影響を与えたと思われますが、鉄道は創作のテーマにはならなかったようです。クラシックのジャンルで鉄道をモチーフとした作品として有名な楽曲としてはフランスの作曲家アルヂュール・オネゲルが作品した交響詩、”Pacific231” がありますが、この楽曲は1923年の作品です。当時鉄道はかなり普及している時代で、日本ではオハ31の前身である木造車体のナハ22000が製造されていた時代です。これは私の全くの想像ですが、上記の作曲家に対してオネゲルは1912年生まれですので、子供の頃から鉄道に親しんで育ったと考えられます。今でも大人の鉄道マニアは子供の頃に鉄道模型で遊んでいた方が多いと聞きます。最近よく話題になるDigital Nativeではありませんが、オネゲルはそれに準えてうとRailway Nativeの世代です。鉄道をテーマとしたクラシック音楽の出現はRailway Nativeの時代まで待たなければならなかったのでしょうか。とは言ってもその後のクラシック音楽で鉄道を連想させるものは私の知る限りあまりありません。蒸機のドラフト音やレールジョイントの単調で連続的なリズムはクラシック音楽のテーマとしては単調すぎてはそこからの展開がしにくいのでしょうか。
一方、JAZZの世界では鉄道が出てくる楽曲は多数あり、実際の列車名(愛称)を題名としたチャタヌガ・チュー・チュー(Chattanooga Choo Choo)や実際の鉄道会社名がそのまま題名となったアッチソン・トピカ・サンタフェ(Atchison, Topeka and Santa Fe)等があります。これらはいずれも映画に使用されたもので、歌詞の中にも鉄道の具体的な描写が出てきますし、リズムや音階(メロディー)も蒸気機関車を連想させます。当時の鉄道駅は人々の生活の舞台の中心であり、また遠い地への憧れを象徴するものとして映画との親和性は高かったのかもわかりません。また米国の機関車の汽笛にはどこか哀愁を帯びた雰囲気があり、音楽に取り入れやすかったのかもわかりません。一方、映画とは直接関係のないJAZZのスタンダードナンバー、”A列車で行こう” はNYの地下鉄がテーマの楽曲です(”A” TrainはNY地下鉄のA系統という意味だそうです)が、イントロ部分でなんとなく蒸気機関車の汽笛を連想させるようなメロディが出てくるような気がします。また、鉄道を舞台とした映画の音楽としては ”オリエント急行殺人事件” の映画音楽があります。私が鉄道に興味を持った以降も2回映画化されており、1974年に製作されたSidney Lumet監督の作品と2017年に製作されたSir Kenneth Branagh監督の作品があります。この2作品のテーマ音楽と言えるものを聴き比べてみると、前者がワゴンリ客車の優雅さとその中で起こる事件の緊迫感を表現した(走る列車をイメージしたものではない)音楽であるのに対し、後者は疾走する列車をイメージした音楽となっています。どちらの映画も流石に原作に対して大きく異なる脚色はされていませんが、同じオリエント急行を表現した音楽として映像と共にこの音楽表現の差を楽しむのも面白いかもわかりません。日本でも鉄道をテーマにした作品は多くあり、鉄道をテーマとした映画も多数ありますが、いずれも邦楽です。ただ、鉄道が発する音をモチーフにしたメロディ(リズム)は童謡以外にはあまり思い浮かびません。日本では鉄道の情景はほとんど歌詞の中に登場するようです。ただ、国鉄のCMソングで山口百恵さんが歌った故・谷村新司さん作詞作曲の国鉄のキャンペーンソング、”いい日旅立ち” の歌詞には鉄道に関するワードは皆無ですし、メロディーも鉄道をイメージさせるものではありません。私の世代ではこの歌を聞くと当時の国鉄のCMが思い浮かびますが、それを知らない世代の人はこの歌をどのようなイメージで聞いているのでしょうか。また今でも時々話題になる狩人の歌った”あずさ2号” も題名以外に鉄道に関するワードは出てきません。あくまでも主題は旅であり、舞台を当時旅行先として若者に人気のあった信州に設定したことから付けられた題名のような気がします。そのような中で、以下に鉄道の情景を歌った邦楽の中で、私が印象に残っている歌詞のついた曲を数曲あげてみたいと思います。
・石川さゆりさんが歌った”津軽海峡冬景色”の冒頭、上野発の夜行列車あ降りた時から・・という下りからは青函連絡船廃止前の青森駅から青森桟橋に至る情景を彷彿とさせます。しかし実際は列車が到着するとホームから桟橋に向かう通路は20分後に出港する連絡船の自由席の良い席(場所)を確保しようと小走りで移動するする乗客でごった返し、海鳴りを聞く暇はなかったような気がします。ただ、そのような状況を実体験している者でも歌詞を聞くと海鳴りがする中黙々と桟橋に向かっていく乗客の姿が目の前に浮かんできます。作詞は阿久悠さんですが、曲のイメージに合わせた言葉の選び方に、一流の作詞家さんの素晴らしさを感じます。余談ですが、この歌がヒットした後、銀座にある某有名模型店に石川さゆりさんがいたという話を何人かの知人から聞きましたが、真偽のほどは不明です。


・以前も紹介したと思いますが、矢野顕子さんが歌っている”Night Train Home”という歌は東北本線の583系寝台特急の中の情景が歌われています。作詞は鉄道ファンで有名なくるりの岸田繁さんと矢野顕子さんの共作です。当時高校生の矢野顕子さんは青森の実家から単身状況し東京で一人暮らしをしていた(阿部譲治さんの家に下宿していた?)ようで、その時に利用した寝台特急の体験と岸田繁さんのマニアックな知識が歌詞に織り込まれています。歌詞の中ではDT32台車、MT54主電動機、C2000コンプレッサが歌われると共に、黒磯のデッドセクションで一度機器が停止した後に交流区間に入り、交流関係の機器が動作し始める音(整流器からのノイズ)の情景、朝、車端にある洗面所とトイレが大混雑になる様子等が描かれます。東北方面の夜行寝台は私も鉄道撮影旅行等でよく利用しましたが、この歌を聞くと当時の列車内の情景が目に浮かびます。この歌は矢野顕子さんのピアノによる弾き語りバージョンと故・レイハラカミ氏がバックを務めたバージョンがありますが後者の電子音楽は疾走する寝台特急電車(客車のイメージではない)を彷彿とさせるものです。また、冒頭の歌詞 ”小窓の外 終わる世界に雪が降ってくる 大人のようにカーテンの中 夢を広げてる” というフレーズも、東北出身で寝台車を利用したことがある方にはよくわかるイメージなのではないでしょうか。私はCDがリリースされる前にコンサートでこの曲を聞きましたが、聞いた時には結構驚いた記憶があります。


・ もう一つ、鉄道に関わる情景を描いた表現が印象的な歌として、さだまさしさんが作詞・作曲して歌った ”檸檬” という歌があります。この歌は梶井基次郎氏の小説「檸檬」をモチーフにしたもので、この歌詞の中には御茶ノ水駅横の聖橋からレモンを神田川に投げるシーンが描かれるのですが、その歌詞 “快速電車の赤い色がそれ(れもん)を噛み砕く”という歌詞と “各駅停車の檸檬色がそれとすれ違う” という歌詞が印象的です。聖橋は私もよく通り、ある意味見慣れた風景で、橋の上から御茶ノ水駅を発着する列車の写真も撮ったことがありますが、上記の ”津軽海峡冬景色” を含め、何気ない日常の風景からこのような言葉を生み出すことができるアーティストの才能は、理系の私には、ただただ尊敬あるのみです。

御茶ノ水橋の上から見た聖橋と中央線快速電車


・ 最後に森山良子さんが歌った “中央線あたり” という曲を紹介したいと思います。この曲は松本隆さんが作詞したいわば70年代の青春ソング(作曲は森田公一さん)で、テーマは前述の「あずさ2号」と似たものなのですが、歌詞の中に新宿から中央線で松本方面に向かう列車から見た中央線国電区間の情景が描かれています。中央線沿線に住む私にとってはある意味見慣れていた風景なのですが、改めて歌の歌詞として聞くと当時の風景が頭の中に蘇ります。また、この曲の最後には実物の列車の音が挿入されているのですが、多分実際の101系の走行音と思われ、上記のMT54主電動機とは異なるMT46主電動機の軽快な回転音を聞くことができます。

”中央線あたり”が収録されているアルバム”日付のないカレンダー

以上、今まで私が聞いた鉄道に関連のある音楽で印象に残っているものを紹介してみました。これらの音楽は歌詞やメロディを聴くだけで目の前に実際に鉄道風景が思い浮かびます。歌は鉄道に関する具体的な情景や想いを歌詞という短い言葉やメロディーに再構築することにより、実物を実際に見た時以上にそれを見た時の心情も含めたイメージを聞き手の中に構築します。一方鉄道模型で最密化により実物世界の再現を目指すことは、このような創作とはの対極にあるようにも感じます。その意味では実感的な模型を製作するためには模型を作るためには実物を観察する時の感性とそれを模型に落とし込む構想力も磨かなくてはならないのかもわかりません。なお、ここに挙げた楽曲は全て音楽配信サイトで視聴が可能ですのでよろしければ聞いてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。

デジタル制御で何ができる?(8):デジタル制御における運転の楽しみ方について −レイアウトセクションで撮影した動画とその撮影方法の紹介–

前回の記事では、デジタル制御を楽しむ第一歩として小規模なレイアウトセクション(ジオラマ)を製作し、そこにデジタル制御を導入しサウンドデコーダーを搭載した車両を導入して動画を撮影して楽しむのも「アリ」ではないかということを述べ、撮影した動画を紹介しましたが、今回、以前このブログで紹介したレイアウトセクション(ジオラマ)、『ALTENHOFのクリスマス』を走るサウンドデコーダー付き車両とともに紹介する動画を作成してみましたので、その動画をその撮影方法とともに紹介してみようと思います。
まずはその動画をご覧ください。

このレイアウトセクションを作成した当時は、このセクションで動画を撮影するという構想は全くなく、線路部分は車両の展示場所とするようなことを考えていました。そのため線路と市街地には大きな高低差がありますが、動画撮影を意識していたら、線路を高架線として、車両と街の表情が同時に撮影できるような構成にしたのではないかと思います。動画撮影を意識したセクションを制作する場合には、構想時に動画の絵コンテをイメージした構想が必要であるような気がします。
一方、この動画を作成するにあたりかなり迷ったことがあります。それはこの動画の車両の走行音にBGMを被せるかどうかということです(Youtubeにアップした上記の動画はBGM付きです)。勿論?実際にこのレイアウトセクション上を走行する車両を鑑賞する際にはBGMなどは全く必要性を感じないのですが、ある程度の長さの動画を作成して鑑賞してみるとBGMがあっても良いようにも感じます。考えてみると、通常、列車の走行音は「騒音」以外の何者でもありません。そのため実際に動く列車(模型)を眺めていない状況で、車両のみではなくレイアウトセクションの全容を紹介する動画ではBGMを入れるのもありかと考えてみたのですが皆様はどうお感じになりますでしょうか。
余談ですが、鉄道の映像と音楽について、今から50年以上前のSLブームの真っ只中にロードショーで封切られた高林陽一氏が演出・脚本・撮影を手がけた「すばらしい蒸気機関車」という映画(音楽は大林宣彦氏でした)では映像の一部に出てくる女性(機関車を愛する少女)と音楽(歌)の存在が議論となり、当時の『SLマニア』には非常に不評であったようです。当時はまだSNSなど全くない時代でしたのでこの映画を鑑賞したSLマニア以外の人々の評価は不明ですし。今思えばいくらSLブームとはいえ、映画館で封切られる商業的な映画では純粋な記録映画以外の要素も持たせた構成とすることはある意味必要であったような気もしますし、いくら蒸気機関車が人間のような機械であると言われても、「実際の人間」に関わるストーリー(視点)がないと、作品が非常に味気ない単なる記録映画になってしまうような気もします。
1985年にBarbra StreisandがBroadway Albumの中で歌った”Putting it together“(うまくやり遂げる)という歌の歌詞に多分映画制作を意識していると思われる歌詞、「芸術は生やさしいものではない」「構想は頭の中にある限り構想でしかない」「財政的支援を得るためにはそれなりの対応が必要」と言ったような歌詞が出てきます。Barbra Streisandはこの数年前にYentlという映画を制作(監督)していますが、この歌詞は彼女のその映画制作の体験から出てきた言葉のようにも感じます。高林陽一氏にもそのような葛藤はあったのかはよくわかりませんが・・・。私は多分蒸気機関車の牽引する営業列車に乗車したことのある最後に近い世代だと思われますが、現在各地で走っている蒸機牽引列車で当時の列車の雰囲気を味わうことはできません(これを否定しているわけではありません)。しかし、当時、各地で蒸気機関車が「普通に」活躍する風景を沿線の風景とともに35㎜フィルムで1時間以上にわたって記録した映画が制作され、それが現在でも他の映画作品と同様、DVDで入手でき鑑賞できるということことを考えれば、今となっては少女や歌の存在の是非などは些細なことのように感じます。

話をこの動画の撮影に戻しますと撮影はカメラ、三脚、ビデオ雲台を用いて行っています。それ以外の特に特別な機材は用いておりません。三脚は通常の三脚と小型の三脚の2種類を使用しています。カメラの横移動は三脚の下にタイルカーペットを置いてフローリングの上を滑らせて撮影しています。カメラの縦移動はビデオ雲台で行っております。横移動の際は三脚をタイルカーペットに押し付けながら三脚を移動しますので三脚は比較的頑丈なものが必要ですが、小型の三脚は脚が1枚のタイルカーペットに載るためカメラを移動させる際はタイルカーペットを移動させますのでそれほど頑丈な三脚でなくても大丈夫です。このようにこの程度の大きさのレイアウトセクションでしたら特別な機材を用意せずとも実物の鉄道を撮影するための機材で十分対応でき、カメラもコンパクトカメラやスマホで十分綺麗な映像が撮影が可能です。また、このような撮影では自動運転は不要ですので、簡易型のコントローラーでも十分対応可能です。デジタル制御に興味のある方はまずはこのようなことから始めてみても良いかと思います。

走行する列車の撮影はレイアウトセクションを床上に置いて小型三脚で撮影しました。カメラの移動はタイルカーペットを滑らせて行います。

デジタル制御で何ができる?(7):デジタル制御における運転の楽しみ方について(2)−レイアウトセクションにおけるサウンドの効果の実例–

前回、デジタル制御を導入するために欧州製の機器を導入する場合の費用の概算を紹介しましたが、物価高や円安等の状況もあり私が導入した当時の感覚と比較すると意外と多額の費用がかかることがわかりました。また自動運転に対応したソフトもそれほど安くはないようです。とは言っても日本型の真鍮製のモデルに比較すれば安いですが・・。一方、私の感覚では、メルクリン製のモデルは国内でも海外でも総じて高価であるという印象がありますが、Command Station+Throttleに関しては、1台でデジタル制御の機能の大部分が使用可能であるMarklinのCentral Station3(CS3)は意外と「安い」ような気もします。日本では鉄道模型の自動運転というと完全にコンピューターソフトに知見のある専門家が行う(できる)ものという感覚がありますが、私の感覚ではメルクリンの自動運単プログラムの作成方法のレベルはそこまで専門的ではないという印象です。例えば、コンピュータプログラムに精通していなくても学生時代に大学等で実験等でマニュアルを見ながら測定機器等をシーケンシャルに制御してデータを取得した経験がある方でしたら簡単にプログラムを作成できるレベルであると思いますし、そのような経験のない方でも一度簡単な自動運転プログラムを作成してその設計の考え方を理解してしまえばそれほど難しいものではないと思います。また、最近小学生でもプログラミング教育の重要性が叫ばれていますが、もしかしたらそのような教育にも利用できるかもわかりません。自分が作成したプログラムで電車が動く(失敗すると事故を起こす)というのは結構面白い体験かもわかりませんし、もしかしたら鉄道模型愛好者の増加に貢献するかもわかりません(Märklinのニュースレター(Web Site?)で実際に教育現場で活用されているという記事があったような気がします)。ただ、そうは言ってももいきなりデジタル制御による本格的な自動運転を行うのはやはり少しハードルが高い気もします。
一方、私は以前、デジタル制御を楽しむ第一歩として小規模なレイアウトセクション(ジオラマ)を製作し、そこにデジタル制御を導入しサウンドデコーダーを搭載した車両を導入して動画を撮影して楽しむのも「アリ」ではないかということを述べました。今回はその実例を紹介してみたい思います。まずは下の動画をご覧ください。

BR103が駅を出発していくシーンの動画

この動画は現在制作中のレイアウトセクションで、駅で列車が出発していくシーンを撮影したものですが、音が存在することにより、実際に眺めても動画にとっても音がない場合と比較して臨場感が全く異なります。
また、下の動画は以前このブログでも紹介した『ALTENHOFのクリスマス」というレイアウトセクション(ジオラマ)上で撮影した動画です。このレイアウトセクション(ジオラマ)はどちらかというと列車の運転というよりは欧州の市街地の風景の再現をテーマにしたもので、線路は長さ1300㎜程度の複線の線路があるだけですが、そこに車両を走らせて見るとやはりサウンドありの車両となしの車両では実際に眺めても動画として鑑賞してもそこには大きな差があるように感じます。

レイアウトセクションを走るVT08

上記の動画はいずれもCentral Station3を用いてサウンドやライトは手動でON/OFFしています。例えば駅の発車シーンの動画は機関車に実装されているOperation Sound(機関車のブロワー音等)、Departure Announcement、ヘッドライト、キャブライト、汽笛をそれぞれ手動でON \OFFしています(Departure Announcementは出発のアナウンス、車掌の笛、ドアの閉まる音が含まれています)。下の走行中の動画ではOperation Soundと汽笛を操作しています。動画の中で聞こえるコンプレッサ音はOperating Soundの一部としてランダムに発生します。なお、VT08はStation Announcementと車掌の笛、ドアの開閉音は別のファンクションとなっていますが、BR103のような駅の出発シーンも可能です。なお、動画に登場するBR103は2018年、VT08 は2006年に発売された製品です。

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