今回紹介させていただくのは北海道仕様の一般型気動車、国鉄時代のキハ40(100番台)の2両編成です。
この車両は2015年に完成した車両で北海道仕様の車両の中では最新の車両です。
私は前回ご紹介したキハ56・キロ26を1990年頃製作して以降レイアウト製作の制作を始め車両工作は一時中断していましたが、この車両はその中断後初めて製作した真鍮製車両です。したがって前作と今作の間には20年のブランクがあります。製作は長い中断にも関わらず意外とスムーズに進んだ反面、20年経っても作品のレベルには進歩がありません。
また、この車両の完成で当初計画していた北海道型の気動車の製作が終了しましたのでこれまでに製作した気動車を例に、その床下機器の表現方法(どの程度の細密化を目指したか)についての試行錯誤の結果を実物写真も交えてご紹介させていただきたいと思います。
キハ40100は北海道向け一般型気動車としては約20年ぶりの新形式でトータルで150両が製造されたようです。道内の各地に分散して配置されていましたので私が比較的頻繁に北海道を訪れていた1980年台前半には道内各地の普通列車ででキハ22に混じって活躍する姿が見られました。
車体はフェニックス模型店製のバラキットを利用しました。キットは車両工作中断前に購入した1990年頃の製品です。床下機器はエンドウ製、台車はカツミ模型店製のDT38(201系用)を流用しました。
車体はキットをほぼそのまま組み立てましたが以下の部分を加工してあります。
1. 車体冷却水補給口の追加
2. 屋上排気管
3. 乗務員扉把手部半円形切り欠き
4. 乗務員ドア両側手すり
両運転台の車両2両であり屋根には水タンクを載置する低屋根部がありますので通常の車両よりは多少の手間がかかりますが組み立てはそれほど難しいものではありません。
この時期に新製された国鉄車両は気動車に限らず雨樋下端の位置が車体と屋根の境界部の稜線より上になるように取り付けられています(14系客車・201系・キハ65等)。この特徴を表すため境界部の稜線をやすりで整形するとともに、雨樋位置をその特長がわかるように雨樋下辺がその稜線の上側になるように取り付けてあります。屋上の水タンクはキット付属物をそのまま使用しています。
前面はキット付属のパーツに加え、尾灯掛けと渡り板(ともにエコーモデル製)等を追加してあります。貫通扉把手は真鍮帯板と真鍮線で製作しました。スカートはキット付属のホワイトメタル製、スカート部のジャンパ栓,連結器胴受けはエコーモデルのパーツ,カプラーはKeedee #16です.
ただ、上の写真を見て何か違和感を感じた方も多いのではないでしょうか。私も完成した車両を見た時に何か違和感を感じました。車両を正面がちにみるとキハ24とキハ40のイメージが混ざったような印象を受けるのです。その理由は運転室窓の高さ寸法に原因があると思われます。キハ40は運転台高さがキハ24等の高運転台車よりさらに高い位置にありますがそれとともに運転台窓の天地寸法もキハ24等よりも少し小さいのではないかと思います。しかしこの作品の運転台窓の天地寸法は実物を縮小した寸法よりよりやや大きい(キハ24等と同一寸法?)と思われ、それが違和感の原因となっていると考えられます。また、貫通扉の幌枠の位置はもう少し上のようです。その寸法差はわずかであると思いますがそれでも実物の印象とはかなり異なってしまっています。私は迂闊にも完成して塗装するまで全く気づきませんでいた。気づいた時にはどうすることもできませんでしたのでそのままです。貫通ホロを取り付けるとやや違和感は和らぎますが・・・。
スノウプラウは0.3㎜真鍮板より下記の手順で製作しカプラーとネジで共締めにしています。
床下機器はエンドウから発売されていたホワイトメタル製のパーツをエコーモデル製の客車用床下機器取り付け板に取り付けてあります。40系気動車はそれまでの気動車と異なりあまり配管が目立ちません(目立つ配管は機器にモールドされています)のでパイピングは行っておりません。
台車は前述のようにエンドウ製のDT38(201系用)を使用しています。
ウエザリングは排気口と床下に軽く施してあります。
以上が今回製作したキハ40の概要です。今回の車両には動力は搭載しておりませんが金属車体、ホワイトメタルパーツを使用したため車体重量は重く、動力化の際は各社にパワートラックが必要であると思われます。
冒頭に述べたようにこの車両の完成を持って当初計画していた北海道型の気動車の製作が終了しました.これまでに作成した車両は
特急用:キハ82系 7両編成
急行用:キハ56・キロ26 4両編成
普通列車用:キハユニ25 7+キハ22
普通列車用:キハ12(+キハ10 )
普通列車用:キハ40+キハ40
の17両で、作品はいずれもこのブログで紹介させていただきました。車種はキハ183系登場前、まだ北海道の列車体系が青函連絡船からの接続を前提としていた時代の主要形式を選択して計画しましたが、この時期北海道ではこのほかにもキハ21、キハ17等も活躍していました。
ちなみに一般型気動車について当時の鉄道図書刊行会発行の国鉄車両配置表を見ると各形式の両数は下記のようになります。1978年から1980年にかけてキハ40の投入に伴いキハ21は急速に両数を減らしていることがわかります。78年当時キハ12は池田機関区に配属されていた車両ですがこちらは80年には消滅しています。北海道向けキハ40の両数はこの表からは不明ですがキハ12とともにキハ21が数を大きく減らし、キハ22は微減ですのでキハ40はキハ21の置き換えで増備されたようです。また北海道とは直接関係ありませんが10系気動車が激減しキハ40ファミリーが激増しています。当時、ローカル線用の一般型気動車は数年で一気に車両の置き換えが進んだことがわかります。
<気動車床下機器の細密度検討と実例>
1. 気動車の床下の印象
気動車の床下機器は機器数も多く配管も多数あり電車に比較して複雑な印象を受けます。特に基本設計が戦前のDMH17系のエンジンを使用した車両の床下にその傾向が顕著です。したがって床下機器も細密化したいところですがやり始めるとキリがありません。また以前も述べましたがついているものを極力取り付けるというのも一種の思考停止状態のように思えてやりたいとは思いませんし何よりそのための工作力もありません。そのため上記の車両を作成する際はどこをどのように加工したら気動車床下の細密感が出るかを試行錯誤していたような気がします。そこで今回は実物写真と作例により私がどのように工作を行ったかを説明させていただきます。
・ 気動車床下の印象(模型化の構想)
私は東京生まれの東京育ちでしたので子供の頃は気動車は珍しい存在でした。それでも千葉の海に行く際に両国駅に行くと房総方面に向かう気動車が多数止まっていたのを覚えてます。その中でもキハ17等のいわゆる10系気動車は床面が高い上に当時ホームの高さが低かったこともあり、割と間近にエンジン周りを観察することができました。キハ17等に使用されていたDMH-17C型エンジン本体は台座の上に乗せられており、独特のアイドリング音とともにドライブシャフトが回っているのがよく見えましたが、その時に印象に残っているのは単純な箱ではないエンジン本体とエンジン周りの冷却水やエンジンオイル関係の配管で、それが気動車の床下の印象を強めていたような気がします。またエンジン周りは「油ぎった」感じがするのも気動車の特徴です。そしてこれらが気動車の床下は電車より配管が多くて複雑という印象を与えていると考えられます。のちに特急、急行用の気動車はシリンダが水平になったDMH17Hになり、エンジンの片側にシリンダヘッドが並びエンジン本体は直方体に近いものになりましたがその反対側には同じく複雑な配管が走っています。この辺りをうまく表現できると実物の気動車をを見た時の床下の印象がうまく再現できるのではないかと思いその部分に重点的に配管を追加することとしました。
もう1箇所、気動車に床下で複雑な印象を受けるのが機関予熱機周りの配管です。機関予熱機は冷却水を加熱するのに用いられる機器で冷却水が通りますのでその周囲には割と複雑な配管があり、その配管には締切コックも取り付けられています。したがってこの部分にもパイピングを追加することでさらに気動車の床下の複雑さを表現できるのではないかと考えました。
一方キハ40系になると機器自体の形状は複雑になりますが配管はあまり目立ちません
2. 実際の作例
そのようなことを考えながら製作したのが以下の作例です。なお、DMF15H型機関を搭載したキハ40は個々の機器の形状は複雑ですが配管はさほど目立つものではありません。そのためキハ40ではパイピングは省略してあります。
それでは以下順を追って作例を紹介させていただきます。製作順は以下のようになりますので時期によってレベルが異なります。キハユニ25 7 からキハ56・キロ26 4両編成の製作までの期間は約10年間です。
キハユニ25 7 ⇨ キハ22 ⇨ キハ12(+キハ10 ) ⇨ キハ82系 8両編成 ⇨ キハ56・キロ26 4両編成 ⇨キハ40+キハ40
これらの車両の機器類は最初に製作したキハユニ25 7 以外は日光モデルの気動車用床下機器パーツを使用しています(キハユニ25 7製作時はこのパーツはまだ販売されていませんでした)。このパーツはダイキャスト製で実物の機器の印象をよく再現しておりパーツの決定版とも言えるもので機器にはほとんど手を加える必要がありません。現在は入手不可能なようですが是非再発売していただきたいものです。ただ、価格に手が出るか少し心配です。
当時から気動車の床下パーツは電車や機関車に比較して種類が少なく、供給元も限られていました。下の写真は手元にあるTMS1973年6月号に掲載されている「床下機器買物帳」及び1989年発行のとれいん増刊号、クラフツマンカタログ1989年版」ですが73年版では小高模型、カツミ模型店のキハ82系用、カワイモデルのキハ35用がある程度、89年版ではそれに日光モデルとフェニックス模型店のパーツが加わった程度です。当時休止国数を増やしていたキハ40も当時は京都模型の完成品しかありませんでした。当時一般型気動車はあまり人気がなかったのでしょうか。さらにこれらのパーツも現在入手不可能になりつつあります。現在、キット組み立ても含めて気動車を自作するのは難しくなっているのかもわかりません。
作例1 キハユニ257
製作時期が一番古いキハユニ257の床下です。製作は80年代初めで日光モデル製のパーツはまだ販売されていませんでしたので使用した機器のパーツはフェニックス模型店製でキットに付属していたものの流用です。
このパーツの発売前は気動車のエンジンはカツミ模型店や小高模型店から発売されていた一体型のキハ82系用(DMH17H)がありましたが、DMH17Cはパーツ化されていなかったように思います。しかしキット付属のこのパーツはホワイトメタル製でエンジンが台座部と本体が別体でコンプレッサも表現されていました。ただ、全体的にはぽってりしておりシリンダヘッド部やその周りの配管もオーバースケールでした。それでも他に使えそうなパーツはなくまたエンジンを自作するだけの十分な資料もありませんでしたのでこのパーツをそのまま使いました。その上でエンジン部にはパイピングを施すと共にパーツに浮き出した配管部に色差しをしてあります。日光モデルのパーツに比較して全体的に線が太く際密度は劣りますが走らせてしまえばあまり気にはなりません。
作例2 キハ22
車体を真鍮板から自作したキハ257 の相棒として製作したキハ22はキハ257 の製作から結構時間が経っていましたので機器のパーツは日光モデル製です。ただこのモデルは冬季にエンジンにカバーを装着した姿としたのでエンジン周りには配管の加工はしておりません。
作例3 キハ12
キハ12はエンジンカバーを装着しませんでしたのでエンジン部に配管を施しました。エンジン台座部に配管を追加してあります。実物は数多くの配管があるようですが追加したのは片側2本です。キハ257 で色差しをした本体の配管はこのパーツでも表現されていますが非常に小さいため配管自体はあまり目立ちません。またエンジン本体が手前の機器に隠れているため車体からエンジンへの配管は片側1本のみとしました。配管は目立たせるため燐青銅線を用いて未塗装としてあります。
なおエンジンが機器に隠れていないキハ10ではキハ12に比較して上下線方向の配管の数を多くしてあります。
なお、縦型エンジンDMH17-Cを使用した気動車の基幹予熱機の配管はあまり目立たないため省略してあります。
作例4 キハ82系
キハ82系のエンジンは横型のDMH17-Hで機関予熱機周りの配管も目立ちますので両者に配管を追加してあります。エンジン周りはシリンダヘッド側と反対側に配管を追加すると共に色差しし、機関予熱機は機器箱の側面から底面いかけて配管を追加してあります。締切コックは省略しました。写真を見ると配管には布(ヒーター?)が巻かれているように見えます。それを表現するかは迷いましたが最終的には省略し、真鍮線にパイプをはめ込み太さの変化をつけることとしました。しかし写真で見るとわかるようにあまり実感的なものとはまりませんでした。
作例5 キハ56・キロ26
これらの車両にエンジンも横型のDMH17-Hですので配管はキハ82系とほぼ同一です。ただエンジン周りの配管はキハ82に比較して少し細密化し、配管音中にオイルフィルタ?を模した渦巻きチリトリをつけてあります。また機関予熱機周りの配管も少し増やしてあります。
<最後に>
冒頭にも記載したとおりこのキハ40を持って当初計画していた北海道仕様の気動車の製作が終了しました。最初にキハユニ25を製作したのが1980年ごろですのでそれから計画終了まで40年以上の歳月を要し、当時新車が続々と投入されていたキハ40もわずかな数が残るのみとなってしまいました。私が鉄道の興味を持ったのが1960年代で、鉄道を利用して各地に行くようになったのが1975年ごろでしたのでまだローカル戦にはキハ17等の10系気動車も数多く活躍しており乗車機会も比較的多くありました。ただやはり10系気動車は室内は他の気動車に比較して座席の貧弱で長距離移動時にはあまり乗りたい車両ではありませんでした。また夏場にはエンジン上の床面がかなり熱くなり、床に落ちたアイスクリームがベトベト靴にくっついたのを覚えています。この後登場したキハ40もシートピッチ等は改善されましたが窓際の席にはヒーターのダクトがありバスのタイヤハウスの部分の座席のようで混雑時は結構窮屈な感じでした。またキハ40は機関出力もわずかに大きく、キハ40を連結した車両は出力に余裕が生まれスピードアップが図れるのかと思いきやそんなことは全くなく、少し期待はずれな車両でした。最近国鉄車両が人気ですが、その当時の車両は日常的に乗車するには決して快適な車両ではなかったような気がします。とはいえ模型で製作したい車両といえば国鉄型以外の考えられないのですが・・・。
ちなみにドイツのシーネンオムニバスを参考に製造されたレールバス(キハ01、02等)はバス用に機関を使用した機械式変速機を搭載した車両で、その機関出力は60−75PSだったようです。一方本家ドイツのレールバスは付随者の連結を前提としていたとはいえ同じくバス用機関を使用しながらその機関出力は110KW(約150PS)で、しかもその機関を2台搭載していたようです。国鉄のDM H17Cの基本設計は戦前で、その後改良型のDMH17H,新規設計のDML 30HS等の新規開発機関を搭載した車両は初期故障でかなり苦労したようですが、こと気動車に関しては日本の鉄道技術は欧米に対して遅れていた感が否めません。この後しばらく気動車には外国製エンジンを使用せざるを得なかったのは必然だったような気もします。
というわけで今後北海道の気動車を制作するとしたらキハ21かキハ24あたりかなと思う今日この頃ですが、最大のネックは床下機器であるような気がします。このブログを書くにあたって改めて上記のクラフツマンカタログを見ましたが当時は各種パーツが比較的安価に販売されていたことを改めて認識しました。やはりキット組み立てを含め車両を自作する人が減っているということでしょうか。