前回の模型車両の製作ではC62重連が牽引した急行ニセコの編成をご紹介させていただきましたが、今回はその編成を牽引するために、KATOのDD51を北海道型に軽加工した作品をご紹介します。
C62重連が牽引した急行ニセコは1971年9月にその終焉を迎えますが、列車自体はその後も存続し、以降10年弱は旧型客車で、その後1986年までは14系客車で運転されていました。このように長年客車急行として存続し得たのはこの列車が青函連絡線で航送される郵便・荷物車を連結していたからであったからと考えられます。そのC62後任の牽引機は当時の国鉄唯一の本線用ディーゼル機DD51で、C62と同様、山線区間はDD51重連で運転されていました。今回はその模型をDD51の実物写真とともに紹介させていただきたいと思います。
KATOのDD51の発売開始は1986年でした。それまでDD51の模型は天賞堂から真鍮製、エンドウからダイキャスト製のモデルが発売されていましたが、前者は高価であり、後者は全体的にはバランスが取れているもののダイキャスト製の荒削りな製品でした。またキットはしなのマイクロ、珊瑚模型店から発売されていましたが、見るからに製作が難しそうなものでした。そんな中KATOが発売したプラ製のDD51は実物の印象をよく捉えており価格も¥15,000とリーズナブルなものでした。私もニセコの編成を製作した後、早速購入を考えたのですが当時は暖地向けの機体しかなかったので、その製品を2両購入し、北海道型に軽加工することとしました。
当時HOモデラーはプラ製の製品(真鍮製以外の製品)を安物として馬鹿にする傾向がありましたが、当時模型車両を製作していたものとして、国鉄凸型ディーゼル機は駆動装置・形態とも非常に製作が難しい車種であり、KATOがプラ製の機関車第一号としてDD51を選択したのは今思えば HOモデラーにプラ製の製品を認知させる戦略だったのかもわかりません。
<実物>
実物のDD51には仕向地域により暖地向け、A寒地向け、B寒地向けの3タイプがあり、当然北海道向けは外観的にはスノープラウ、旋回窓、運転室窓のプロテクタ、汽笛カバーを装備したA寒地向ですが、改造にあたり北海道型を特徴付けるためさらに特徴的な仕様としてヘッドライト3灯、ボンネット先端にスピーカーを装備した機体とすることにしました。
ヘッドライトを1980年頃北海道を訪れた際の写真を確認するとヘッドライトを3灯装備したDD51は複数の機体が確認できますが、それほどポピュラーなものではなかったと思われます。下記の写真の上2枚は742号機、その下は741号機です。ヘッドライト3灯のDD51は後に磐越西線で有名になりますが、当時は大して意識せずに撮影していたと思います。磐越西線で有名になった機体と番号が近接していますが、ある時期に連番で改造されたものなのでしょうか。
もう一つ、北海道のDD51の特徴として、ボンネット先端に誘導係向けのスピーカーを設けた機体があります。こちらも北海道特有の装備と思われるもので道南の車両に多く見られます。装備された経緯は詳しくわかりませんが厳しい気候の中入換時に車両を誘導する誘導係に明確な指示を与えるための装備なのでしょうか。当時の函館駅では函館駅の到着したニセコの郵便車を青函連絡船に積み込む作業が行われていましたが、雪で列車が遅れた場合、厳しい天候の中青函連絡船の出航時刻までに連絡線への積み込みを終える為に、非常に慌ただしく作業が行われていたのをいまでも思い出します。
<模型>
それでは模型を紹介させていただきます。
2両のDD51のうち1両はヘッドライトとスピーカーを装備した機体、もう1両はスピーカーのみ装備した車両です。ナンバーは製品付属のナンバーから選択してありますので特定ナンバー機ではありません。私が撮影した写真を見る限り、スピーカー装備の3灯機は見つかりませんでしたので、十っさいにその様な機体があったかはわかりません。前者を627号機、後者を664号機として製作しました。
まず第3のヘッドライトですが、これはニワロックスの蒸気用のシールドビームの副灯を使用しています。実物の形態もそれに準じているのではないかと思われます。ボンネット先端部の取り付け穴を開けて接着、塗装してあります。実物を見ると、レンズの周囲が磨き出されており、非常に目立つのですが、残念ながら塗装ではそこまで表現できておりません。
誘導員用スピーカーはエコーモデルのタイフォン(#751)を使用して作成しました。後方を切断しそこに真鍮線をはんだ付けしてボディーに穴を開けて接着してあります。実物はもっと角ばった形状ですが、これでよしとしてあります。
旋回窓はエコーモデルのパーツです。説明書に従い前面窓に穴を開けて取り付けてあります。
前面窓のプロテクタは工作に自信がなかったため省略としました。冬季に札幌で狩勝峠を経由して釧路に向かう機体や塩狩峠を越えて稚内に向かう機体を撮影した写真でも装備されていない機体がありますので、全機装着されていたわけではない様です。
汽笛カバーは真鍮板で作成してあります。
その他の加工部位として目立つとこ路はエンドビーム手すりの蒸気暖房管です。1980年当時はまだ首都圏でも八高線、総武線等でDD51の牽引する貨物列車は見られましたが、さすがに暖房用の蒸気暖房管が取り付けられている機体はなく、これも北海道地区のDD51を特徴付けるものとして追加しました。ニワロックス、エコーモデルのパーツを利用して接着で取り付けてあります。
エンドビームのエアーホースはロストワックス製に換装してあります。
このモデルは私にとっても初めてのプラ製機関車でした。それまでは既製品のプラ製機関車を購入したことはなかった(製品自体もなかった)のですが、その当時の第一印象として・・・。手摺り等が浮き出しになっていることはあまり気になりませんでした。却ってゴツさがなくなり実物の印象をよく捉えている様に感じました。またラジエーターファンの中に羽根が浮き出して見えるのは感動的ですらありました。一方、ラジエータファン後方の部材(黒く塗装してある部分)は実物ではもっと盛り上がった形状であり、この辺りの表現が多少不満であったことを覚えています。型にするとアンダーカットが発生する部分で、この辺りが一体整形の限界なのかもわかりません。現代だったら別パーツにするのでしょうか。
この部位の実物写真です。またこの写真ではラジエーターのファンの回転軸に取り付けられた軸の先端が「北」の文字となっています。1985年ごろ函館駅で撮影したもので機体のナンバーは不明ですが、この頃北海道で見かけたのはこの機体のみでした。
以上、急行ニセコ牽引用に作成したDD51を紹介させていただきました。蒸気機関車に比べて没個性と言われていた当時のディーゼル機もこの様にしてみるとバラエティーがある様です。今後過去撮影した写真ですをチェックしてみたいと考えております。最後なでお読みいただきありがとうございました。