鉄道写真:気動車の混結編成

前回、キハ22の紹介の中で本州の一般型気動車はどこに行っても同じような車両が走っているという事を書きました。これは当時の国鉄に、車両を標準化することにより全国どこでも配置転換可能とするという目的があったからということです。またそのために特急型以外の気動車は10系気動車から当時最新の40系気動車まで、車種を選ばず全て混結可能になるよう駆動制御システムも標準化されていました。このため、車両は地域による差は乏しくてもも列車の編成としてみると全国各地、各時代でその地域に配属されている車種に応じて多種多様な編成の普通列車が走っていました。今回は、私の撮影した写真の中から各地の一般型気動車混結編成をご紹介したいと思います。これから説明する写真とそれ以外の列車の写真は下記の動画をご覧ください。

まずは1970年の八高線で撮影した写真です。キハ172輌の後ろにキハ35が連結されています。当時の八高線にはまだD51が牽引する貨物列車が健在でその撮影に来た際に撮ったものです。車体断面の小さい10系気動車が混結編成の中に入ると、雑多感満載という感じです。

外吊りドアかつ切り妻のキハ35との混結はキハ17の車体の小ささがより強調される気がします。

その後沿線に工場が増え、八高線は朝晩通勤客で混雑するようになってきましたが、それでも電化直前までキハ35に混じってキハ20、キハ40がキハ35に混じって活躍しておりました。1981年の写真です。

次は1978年の水郡線、水戸付近の那珂川鉄橋を渡る混結列車の編成です。7輌の長い編成です。先頭からキハ58、キハ25、キハ45と続きます。

キハ45の後にバス窓のキハ20が2輌続いて・・・

最後は湘南窓のキハユニ15とバス窓のキハ55です。途中に荷物車が挟まれていますので下りの通勤通学列車を帰りにまとめて上り列車としているのでしょうか。なかなかの雑多編成ですが、これを最初から模型で再現しようとして1輌ずつ作っていくのは大変そうです。モチベーションが維持できるかどうか・・。

こちらも水郡線です。4輌編成で上の編成に比較すると短いですが、4輌全て異なる形式です。

次は電化直前の伯備線です。備中広瀬付近で撮影した写真です。先頭はキハ16から改造したキハユニ18をさらに改造したキユニ18です。キハ20、キハ40の後にキハ55が続きます。1981年の写真ですが、この頃になると混結編成の中にキハ40が登場してきます。

次は1980年の只見線です。キハ55、キハ17、キハ40と続きます。上の写真の伯備線と同様、キハ40と10系気動車が混結されていますが、いかり肩のキハ55の連結面側と裾を絞った大型車体のキハ40に挟まれたキハ17が一層小さく見えます、

同じく会津地方、磐越西線の新津行き混結編成です。主に新潟地区の越後線、弥彦線に使用されていたキハ35の500番台が2両連結されています。会津若松から新津までキハ35に乗っていくのは結構大変そうですが・・。

その他、混血編成は小海線等でも見られましたが、運用的に独立した線区ですと配置されている車種も限られていますので上記のような線区に比べると混結パターンにあまり雑多感は感じられませんでした。また国鉄がJRになると色々な塗色の車両が登場して形式より色の雑多感が前面に出てくるようになり、混結編成の印象がかなり変わったものとなってしまいました。

1981 小淵沢 キハ52+キハ57
1991 秋田 キハ40+キハ22

以上で混結編成の気動車の紹介を終わります。このような混結編成の列車が来たらあなたならどの車両に乗りますか?

上記の写真を含んだ八高線、磐越西線、小海線の写真は下記のYoutubeチャンネルにアップしてありますでよろしければご覧ください

https://www.youtube.com/channel/UC3UEFl_P2F_Py-SXeu-lMQA/videos?view_as=subscriber