模型車両の紹介 北海道のローカル気動車 キハ22+キハユニ25

模型車両の紹介 北海道のローカル気動車 キハ22+キハユニ25

北海道のC62に続いて北海道のローカル気動車、キハ22とキハユニ25を紹介させていただきます。キハユニ25が1976年、キハ22が1989年の作品です。

国鉄時代から民営化後の初期、北海道以外の地域の国鉄型の気動車は、標準化の名の下に全国各地ほぼ同じ形式の車両が使用されていました。地域的な差としてキハ58、キハ35、キハ23等には暖地向け、寒地向けの区別がありましたが、これらは外観的な差はベンチレターやタイフォンの形状等が主なものであり、遠目には区別がつかないものであり、地方に行っても走っている車両からはその地方に来たなという実感は湧きませんでした。そのような中で北海道の気動車は形式番号も本州の気動車とは異なり、また2重窓を採用しているため車体の形状も本州の気動車との違いが一目でわかるものでした。当時このような特徴のある車両が本州とは違った雄大な風景のなかを走る姿に魅力を感じており、この時期に私の製作した車両は多くの車両が北海道に縁のある車両になっています。今回紹介させていただくそんな車両の中の一つです。

<キハ22>

フェニックス模型店製のキハ22バラキットを組み立てた作品です。キハ22は私が北海道をよく訪れていた80年代にはどこでも見られた車両です。北海道向けの一般型気動車は10系気動車、客車改造気動車やバス窓のキハ21もありましたが、それらは80年代はじめにキハ40登場とともに廃車となり、それ以降北海道の殆んどのローカル線にはキハ22、キハ40が使用されていました。キハ22には0番代と200番代がありますが、この車両は室内が近代化され、ベンチレーターの数が多い200番台です。

車体はキットをほぼそのまま組み立てていますが屋根に排気管を追加してあります。タブレットキャッチャは取り付けていません。

レタリングはいさみやのインスタントレタリングを使用しています。所属表記等ややオーバースケールですがイサミヤのインスタントレタリングは形式別ではなく文字の羅列でしたので一枚で色々な車両に対応でき、重宝していました。

前面、運転台下はエコーモデルのパーツ等を利用して少し細密化しています。カプラーはKDカプラーを使用しています。スノウプラウはキハユニ25と同じ複線タイプとしました。

床下機器は日光モデル製です。エンジンは北海道タイプを特徴付けるためカバーを装着した状態としました。カバーは自作です。台車は日光モデルもDT22、動力は天賞堂発売のパワートラックGTー1を使用しています.。

<キハユニ25>
1982年頃の作品で前面はフェニックス模型店製のパーツ、車体は0.3mm 真鍮板からの自作です。この車両はキハ22を製作する前の作品で、作成当時キハ22に増結する目的で製作したものではありません。相棒ができたのは約13年後です。当時車体をバラキットではなく真鍮板から自作してみようと考えた時、この車両は北海道型、片運であるとともに窓数も少なく、比較的簡単に(楽に)できるのではないかと思い自作に挑戦した車両です。窓抜きは思ったより簡単に出来ましたが、プレスによる窓抜きとは異なり窓周辺に抜きダレがない(窓周りに面取りをしていない)ため、窓高さの不足と相まって窓周りの印象が実写と少し異なる印象となってしまいました。

前面はフェニックス模型店のプレス製で上記キハ22と同じパーツです。

側面窓は詳細寸法が不明であったので写真の印象から高さ8.25mmで作成しましたが上下方向が狭い印象となってしまいました。前述のように抜きダレがないことも上下方向の寸法不足の印象を助長しています。上記キットのキハ22の窓高さは実測9mmでやや大きい印象です。キハ22の正確な模型用寸法はわからないのですが、TMS1973年2月号に載っていた711系の図面の窓はは8.5mmで作図されており、後年発売されたフェニックス模型店のキハ40の窓高さは実測8.5mmでより実物に近い印象ですので、模型は窓高さ8.5から8.75mm位で作ると良いのかもわかりません。模型は実物の寸法をそのまま縮小すると印象が違ってしまうとよく言われますが、塗り分け位置(この場合クリーム色の部分の幅、キハ40は一色塗り)でも印象が変わると思われるのでこの辺り難しいところです。ドイツのメルクリン、フライシュマンなどはそのあたりの設計がうまいと言われています。私はドイツの車両の実物を見慣れているわけではないので自身では確かめようがないのですが。

この車両にはタブレットキャッチャをつけましたが手元にある実物写真の資料にはついておりません。左右で運乗務員ドアの位置が違うので実物同様、ロストパーツを左右で場所を変えて取り付けました。。

床下機器はキット付属のものをそのまま使用しています。こちらの台車はカツミ(エンドウ?)のDT22で動力はつけていません。

前述のように前面はフェニックス模型店製のパーツですのでキハ22と同じ印象になっています。床下にはエアーホース、ジャンパ栓をつけましたがこちらのパーツはエコーモデルの挽物製です。ホワイトメタルのパーツはまだ発売されていなかったのではないかと思います。運転台側にはエコーモデルのデフロスタを散るつけてあります。スノープラウは実物と同じ複線型です。北海道の車両は前面に車体番号が表示されていますがこの車両は当然7番です。

前面は既製品ですので、なんとか破綻なく完成したという感じです。

<資料について>
これらの模型を作った際の資料は誠文堂新光社の国鉄気動車ガイドブックを参考にしています。当時このガイドブックは車両を製作する上で非常に参考になる資料でした。機関車、電車各種発行されていましたが、当時はそれらを大人買いすることはとてもできず、友達の持っているものを融通しあって見ていました。今でも重宝しています。

<実物について>

最後に実物の写真を少し紹介させていただきます。上記ガイドブックによると、キハ22には室内等が白熱灯の0番台と室内等が蛍光灯の200番台があり、外観上の差はあまりないと記載されています。私が北海道を初めて訪れた1981年にはまだ初期型の車両も残っていましたが、そのとおり外観上の差はほとんどわかりませんでした。当時は首都圏色になる前の車両もまだ残っていましたが、多くの車両がヘッドライトが2灯に改造されていました。

0番台の車両:1981.3 雄武
200番代の車両 1981.3 興部

函館ではキハ23ととともに運用されており、晩年にはキハ54との混結編成もありました。キハ54の側面もキハ22と類似しています。

1981.3 函館

また、北海道型ではありますが、一部の車両は東北北部でも使用されていました。

1982,8 秋田

キハ 25 7は私が北海道を訪れた1981年当時、天北線で使用されていました。

1981.3 稚内

キハ22は北海道という限定的な地域のローカル線を走っていた比較的地味な車両ですが、一般型気動車といえど2重窓の車体には本州のキハ20、キハ25等とは異なった重厚な趣があり、独自の存在感を放っていた車両だったと思います。