手持ちの台車を利用して自作したペーパー車両(2)

165系”アルプス”と20系”あさかぜ”:製作車両の決定とその車両に対するイメージの構築

<製作する形式(系列)の決定>
今回製作する車両の設計方針が決まったところで車種の剪定に入ります。今回の製作にあたり利用できる手持ちの台車は以下の台車です。
・ DT32 4両分(カツミ製)
・ DT24 2両分(カツミ製)
・ TR69 4両分(カツミ製)

・ TR55 6両分(日光モデル製)
・ TR55 2両分(小高模型製)

これらは概ね1970年台から1990年台の製品でいずれもダイキャスト製です。このうち日光モデル製の台車は現行品と同一の金型(型更新されているかは不明)と思われますが、他の台車は現在は同一型の製品は発売されていないのではないかと思います。そして今回製作する車両はこの台車が使用されている形式から選択することになります。余談ですが小高模型製のダイキャスト製台車は1970年ごろの製品で当時の主流であったドロップ(落し鍛造)製台車に比較して非常に彫りが深くブレーキシューもついていますが全体的に線が太くポッテリ感があるとともに枠の幅が非常に厚く幅が車体幅と同じくらいあります(実測で35㎜)。当時この製品がTMSの製品の紹介欄で紹介された際、その中でこの幅の広さに問題があるということが記載されていないのはおかしいのではないかという議論があったことを記憶しています。当時は現在のようにSNSで多くの人に自分の意見を述べることができるようになるなど誰も夢にも思っていない時代でしたが反面、雑誌にはこのような批判的な意見もいろいろ掲載されていたような気がします。確かに幅は広いですが他の形状部分はあまり違和感はありません。
DT32/TR69は1962年以降、20年近くにわたり当時の国鉄の標準型台車として使用されていました。当時の国鉄は標準化と称して共通の機器を長期にわたり多くの車両に採用しており、車種の選択肢は数多くあります。また、TR55はブルートレインと呼ばれる特急寝台列車用の客車、1969年から製造されている12系以降の座席車全てに用いられている台車でこちらも選択肢は豊富です。両者とも多少のマイナーチェンジはあれど長期に渡り使用されている台車で、この台車を使用して製作できる形式は多々ありますが、これはこの台車が優秀であったということの他に当時の国鉄が膨大な赤字と労使問題を抱え、新規技術の導入が難しかったという側面もあるのではないかと考えられます。
それはともかく、まずはDT 32/TR69を使用する車種を検討します。DT32/TR69は451系以降の急行型、481系以降の特急型電車に20年以上にわたり幅広く使用されている台車ですので製作する車種の候補は数多くあります。。

DT32/TR69を使用した形式(系列)でまず考えられるのは特急用の系列と急行用の系列です。両者を比較すると特急電車はグリーン車、食堂車が連結されていても食堂車の調理室と通路部分以外は窓の天地寸法は同一で編成全体での統一感があります。グリーン車の等級帯もありません。先頭部の製作法に工夫が必要で製作に手間はかかりそうですがその他の車体は差異は窓の配列の違いだけではほぼ同一工程で製作できそうです。一方急行型電車はグリーン車、ビュフェ車は窓の基本寸法自体が普通車とグリーン車では大きく異なり、ビュフェ部分は特急型と同じ固定窓であること、グリーン車には等級帯があること等、外観にバラエティがあります。また、その窓配置に対応して屋上機器にも差異があり車体の工作が楽しめそうです。また急行電車は8台分の台車で実物の編成通りの編成が再現できますが特急電車は手持ちの台車の数では短縮編成になります。このように両者には対照的な部分も多く、どちらを選択するか大変迷いましたが、工作の面白さは急行型電車の方が味わえるのではないかと思い、その中でも特に親しみがある165系を題材として選択しました。一方、TR55を使用して製作できるのは20系と12系以降の所謂新系列客車と呼ばれる客車です。その中で12系、14系の座席車は車種が普通車のみで車体の窓配置にも面白味がないのでまず候補から外しました。残る候補は20系客車、14系以降の国鉄時代の寝台特急列車、北斗星等に代表される各種の個室寝台車を交えたJR時代の寝台特急の編成となりますが、各種の個室を擁し札幌と東京を結ぶ北斗星は乗車するには魅力的ですが国鉄時代の寝台特急列車に親しんだものにとっては改造された客車の編成はどうしても寄せ集め感があり、なかなか触手が動きません。残る14系、24系寝台車による国鉄時代の寝台特急も含め車種が少なく編成にバラエティ感が少ない気がします。一方20系はいろいろな形式(車内設備)があるにもかかわらず、一部を除き客室窓の窓幅は1120㎜に統一され、車内設備によってその割り付けが変わるだけであり列車全体としての外観デザインの統一感は客車以外も含めて他の形式にはない魅力です。自作の場合、この統一感は製作の際の難しさになるような気がしましたが、それでもやはり20系に挑戦しようと決断しました。結果的にDT32/TR69では外観のバラエティを重視して165系、TR55では全体の統一感を重視して20系を選んだことになります。

<車両に対するイメージの構築方法の例>
製作する形式(系列)が決まったところで次はどのような編成(列車)を製作するかを検討します。その際には前回記載したその車両(その車両を使用した列車)に対するイメージを明確にすることが必要になります。そしてこのイメージが今後の設計において表現したいポイントを押さえるときに重要になります。イメージを設計に落とし込むためにはイメージを具体的に模型の形状に表現できるような言葉で表現することが必要で「カッコいいから」とか「思い出の車両だから」という抽象的なイメージではなく、もっと具体的な言葉で自分なりのイメージを構築することが必要です。そのため165系電車と20系客車のイメージ(魅力)を表す言葉を見つけなくてはなりません。幸い私が鉄道に興味を持った頃、165系、20系客車はまだ第一線で活躍していましたのでそれらの写真も比較的多く残っています。そこで今回は過去の撮影した写真から私のこれらの形式に対するイメージを表現している写真を選び、そこに言葉をつける作業を試みました。なお、全盛期を知らない方(自分の撮った写真のない方)は他人の撮った写真でもこのような試みは可能と思います。そしてその際はネットの写真ではなく出版物の写真をお勧めします。なぜなら出版物の写真はどうしたらその車両の魅力を表現できるかについて撮影者以外の複数の有識者のチェック結果が反映されているからで、その意味でイメージの構築は自分の撮影した写真からよりやりやすい面もあるのではないかと思います。唯一差があるとすれば自分の写真はその写真を撮影した時の自分の「体験」を思い出せることでしょうか。以前このブログでキット加工のC62を紹介させていただきましたが、私は小樽ニセコ間に一時運転されていたC62ニセコ号と梅小路蒸気機関車間以外、現役時代のC62は見ていません。したがって製作時には全体的イメージ把握のために写真集”C62 -Hudoson for Limited Express-“(Press Eisembahn社発行)を見てイメージを掴み、細部のディテールについては機芸出版社発行の「蒸気機関車の角度」を参考にして製作しました。なお、TR55で製作する車両を検討している際に、この写真集に掲載されていたC62が20系客車を牽引している写真が頭をかすめ、20系客車製作の動機の一つになったことは否めません。


<165系のイメージ>
165系のイメージは車種選択の検討の際にも述べましたが車種による形態の違いです。特に中央線の急行”アルプス”は基本編成にサロ2両、サハシが組み込まれた8両編成で、新宿方から撮影した写真は標準レンズで撮影すれば窓の構造、望遠レンズで撮影すれば普通車のユニットサッシとグリーン車の下降窓の天地方向の寸法の差異が目立ち、その特徴が楽しめるものでした。また、夕方暗くなってから見る”アルプス”は、普通車に対し、グリーン車の大きな窓から見える白いカバーのかかったシートが印象的でした。

また、普通車のユニットサッシ窓も一部を除き同一形状の窓が整然と並び、斜光線を受けて反射すると非常に美しかったという印象があります。また、窓は上段下降、下段上昇の2段窓と構造になっていますが望遠レンズで正面がちに撮影するとその段差が目立ちます。これも写真を見ると印象的で、この辺りは模型でも再現したい部分です。

もう一つ、165系の特徴として床下機器のバラエティの多さを上げたいと思います。165系の普通車は当初は非冷房車で落成しましたので冷房化に際し、電源の増設が必要となり、そのためのMGが付随車に設置されました。そのためサロ、サハシだけでがなくクハにもMGが設置され、床下機器が賑やかです。また、比較的長期にわたって製造されているため設置されている水タンクやエアーコンプレッサには製造年によりいろいろなタイプがあります。
当時私は中央線沿線に住んでいましたが、その頃の中央線は中央線の列車や特別快速電車が快速電車を追い越すことができるするのは三鷹駅のみで、そのため新宿立川間は列車も電車もほぼ並行ダイヤで走っていました。そのため新宿を急行アルプスが発車する頃合いに三鷹行きの中央緩行線の電車に乗ると吉祥寺駅付近まで両者が抜きつ抜かれつほぼ並行して走行し、緩行線電車の中から165系の編成全体をじっくり観察することが可能でした。その時感じたことがこの床下機器賑やかさと多彩さです。自作モデルなら、床下機器を好みの形状で自作することが可能で好みのタイプとすることが可能になります。

上記をまとめ、165系の製作において力点を置いて表現したい部分を
・ 多彩な窓構造と屋上機器
・ 整然と並ぶ普通車のユニットサッシ窓の美しさ
・ 多彩な床下機器
としました。そして、この特徴表すのに最適な列車として、急行”アルプス”の80年ごろの姿を模型化することとしました。

<20系客車のイメージ>
20系の魅力はなんと言っても列車全体の統一感です。私が鉄道に興味を持ち始めて数年後には九州方面の寝台特急の14系への置き換えが始まりましたがその中でも特にEF 65が牽引する20系客車は機関車も含めた列車としての統一感が他の寝台特急と比較して別格の雰囲気を醸し出していました。また20系客車を牽引する東京機関区のEF65は連日東京下関間の往復運用に充当され、1運用での走行距離が2,000kmを超えていたため当時10万km毎と規定されていた中間検査が半年程度で実施され、機関車も常に客車同様車体が綺麗であったことも統一的な印象を強めていたかもわかりません。

現在ブルートレインと呼ばれた寝台特急列車は全て廃止されてしまいましたがこの統一感を醸し出していた機関車の塗色と塗り分けは20系登場から60年以上を経た現在までFE65PF型に受け継がれています。一方、客車の車体は車両限界いっぱいの深い屋根がスピード重視で低重心の特急型電車と対照的で、スピード感はないものの寝台車としての居住性の良さを想起させます。また車体の青とクリーム色の帯に加え、窓の周囲のガラス押さえ部材のグレーが外観デザイン上重要な役割を果たしており、この部分も他の車両にない大きな魅力となっています。また20系のブルーは以降の新系列客車のブルー(新幹線ブルー)とは異なり旧型客車と同色の独特な色合いでした。当時の客車は20系も含めて蒸気機関車やディーゼル機関車に牽引されるため車体が「煤けている」印象がありましたが、この青は車両の隅等に「煤け」が残っていてもあまり目立つことなく却ってコントラストが高まり、より重厚感が増しているような印象を受ける場合もありました。当時の技術者(デザイナー)はこのことを意識して色調を決めたのでしょうか?

一方、20系の客室窓の幅は一部を除いて車種の関わらず幅1,120㎜に統一され、その窓が車内設備の違いにより異なる間隔で並んでいることも列車としての全体的な統一感の確保と車内設備の多彩さをアピールするのに一役買っています。また号車番号札、列車種別表示、行先表示等の表示類は当時は特急用の181系電車も含めてサボを車体に差し込んで表示していたのに対し、20系ではその後の電動方向幕と同様、車体の表示窓の中にそれらが表示されていたため斜めから見た時の車体の凹凸の少なさも特徴でした。乗車体験はそれ程多くありませんが、B寝台の場合、寝台幅や冷房化されているということでは10系客車と同じであっにもかかわらず固定窓による静粛性と隙間風が入ってこないこと、空気バネ台車による乗り心地の良さはその外観と共にB寝台車であっても「走るホテル」に乗ってるという実感は味わうことができました。
そして20系でどの列車(編成)を製作するかといえばといえばその編成は東海道線のナロネ20,22,21を連ねた“あさかぜ”がまず思い浮かびます。20系の製作を決めた時、編成はこの”あさかぜ”以外には考えられませんでした。また牽引機はEF65 500番台に決まりです。70年台、九州方面の下り寝台特急は東京駅品川から回送列車を牽引してきた機関車を先頭に付け替える入れ替え作業が行われていました。私は当時中学生でしたがその作業が行われる30分近い停車時間に列車の先頭から最後尾まで眺めたのもです。しかし手元にはカツミ製のEF651000番台しかないので当面はこの機関車を使用し、今後機会があれば入手することとしました。以上の20系のイメージから工作で注力したいところをまとまると
・ 機関車を含めた列車全体の統一感(車体の滑らかさ)
・ 窓周りの押さえ部材の色も含めた塗色(色彩デザイン)の美しさ
・ 滑らかな車体と居住性の良さをイメージさせる深い屋根
といったところです。

<クモニ83,クモユニ82の追加とそのイメージ>
ここまででDT32/TR69では165系による”アルプス”,TR55では20系”あさかぜ”を製作することとしました。ただ、165系による”アルプス”は手持ちの台車で実物通りの8量基本編成は組めるものの、実際の”アルプス”は昼行列車は11−12両編成で、8両で運転される列車はほとんどありませんでした。ただ、夜行列車は8両編成で運転される列車があり、その中で新宿を23時過ぎに発車する降り急行にはクモニ83が2両連結されていました。そこで、それを再現するために165系の編成ではクモニ83,クモユニ82を加え、10両編成とすることとしました。クモユニ74以降の72系を改造した荷電は車体は新造で、当時の101/103系の運転室を高運転台にした荷電独自のデザインで、所謂国電区間を走る101/103系を見慣れたものにとっては新鮮なものでした(後年103系のATC装備車から103系も類似のデザインになりましたが)。また中央線用のクモニ83の中には側板雨樋高さを165系(115系)と統一した張り上げ屋根の車両がありました。また両者ともクモユニ74と異なり窓の隅部にはRがついており、旧型国電改造の荷電らしからぬスマートな車体でしたが、通過音を聞くとその音は旧型電車そのものでその外観に対する音の違和感が印象的でした。

そこで今回は165系の基本編成8両にクモニ83,クモユニ82を加え、夜行列車のイメージを再現しました。なお、実際にアルプスに連結されていたのはクモニ83が2両で、クモユニ82は連結されておりません。なにぶん夜間の運転ですので荷電を連結したアルプスの写真はないのですが、夜、新宿等で見かけると湘南色とスカ色の組み合わせが新鮮だったことが印象に残っています。また、当時仕事での長野方面への出張することが多くありましたが、朝、ホテルで読む新聞の朝刊はプロ野球ナイターの結果が途中までしか載っていませんでしたがこれは東京で印刷された新聞が夜行のアルプスで輸送されているためであり、夜行アルプスに連結された荷電の活躍を実感させるものでした。表現したいイメージは
・ 荷電らしからぬスマートな車体
・ 張り上げ屋根の美しさ(クモニ83)
・ 新製車体と釣り掛け台車(床下)のアンバランス
です。

以上が車種選択とその車種(列車)のイメージに基づく表現したいポイントの抽出経緯です。長々と色々記載してしまいましたが、製作の動機(目標)を明確にすることは製作のモチベーションを維持するためにも重要ですのでその決定プロセスを少し詳細に記載させていただきました。