模型車両の紹介:北海道のC57(+ユーレイ)

今回は北海道のC57を紹介させていただきます。この車両は以前ご紹介した北海道の急行寝台列車の牽引用に製作したもので客車とほぼ同時期(1990年ごろ)の作品です。

この車両はカツミ模型店発売のゴールデンシリーズ・C57一次型のイージーバラキットを組み立てたもので、特定ナンバー機ではなく、キットをベースに蒸気機関車が終焉を迎える1975年ごろに北海道で見られた機関車の特徴的な形態を再現すべく各部に加工を施したものです。

キットの組み立て説明書

ナンバーは83号機ですが、これはキットの付属していたナンバープレートから選んだものです。実際の83号機は主に西日本で活躍していた機体のようで北海道に配置されたことはなく、1969年に名古屋機関区で使用されたのを最後に廃車されていいるようです。私が鉄道に興味を持ち写真を撮り始めた頃、首都圏では鶴見、新小岩・八王子等にわずかな数の蒸気機関車が残るのみでしたが、当時北海道にはまだ数多くの蒸気機関車が活躍していました。しかし当時の中高生にとっては北海道はあまりにも遠く、私はそれらが実際に活躍している姿を実際にみることは叶いませんでした。しかし北海道が蒸気機関車の最後の活躍の地であったことから交通博物館のC57をはじめ、首都圏には数多くの北海道仕様の機関車が保存展示されており、現在でも比較的多くの北海道仕様の機関車を見ることができます。当時釧網本線で活躍していた戦後型のC58 は羽村動物公園に保存されていますし、上野の国立科学博物館入口展示されているD51も北海道仕様の機体です。C57は前述のように交通博物館に最後の旅客列車を牽引したC57 135が非常に良い状態で保存されていましたので製作にあたってはそれを参考とし、他に雑誌等に掲載されている北海道仕様の機関車の写真を参考にして好みの形態に仕上げてあります。余談ですが、大宮の鉄道博物館に展示されている車両の一部は壁際やプラットホームを模したような台の横に展示されている車両が多く、社内の見学には良いのですが模型の資料として写真を撮影する際には非常に撮影しにくい展示となってしまっています。

製作にあたって交通博物館で撮影したC57 135の写真(一部)


車体の基本部分はキットをそのまま組み立てており、大きな加工はしておりません。晩年の北海道仕様のC57はキャブを密閉型にしたものが多く、C57135も密閉キャブでしたがキットのまま組んであります。これは改造に自信がなかったことと、キャブを密閉型にするとC57本来の精悍さが失われてしまうのではないかと考えたのがその理由です。後者の理由は自分の技術力のなさの言い訳のような気もしますが、やはりライトパシフィック機と呼ばれるC57の軽快で精悍なイメージを形作っているのは1次型等の開放キャブではないかと思います。
このキットはイージーバラキットいう名称のとおり、主題枠とボイラー、ランボード、キャブは組み立て済みで、車体の恋本部分は比較的容易に組み上げることができます。全体的なプロポーションも良好で特に加工が必要なところはありません、したがって加工はロストワックスパーツの追加とパイピングが主なものとなります。

組み立て説明書の一部

ロストワックスパーツは当時主流であったニワ模型のロストワックスパーツ(ニワロックス)を全面的に使用しています。そして北海道仕様を特徴付けるために行った主な加工は以下のところです。
1. デフの切り詰めと前部デッキへの手すりの追加
2. ドーム前方の手すりを扇形の形状に変更
3. 北海道タイプのタブレットキャッチャ、バタフライスクリーンの追加
4. パイピングに布巻管(福原金属製)を使用
5. 分配弁,締切コックに耐寒型を使用
こうして書き出すと加工箇所はあまり多くはありませんがこのレベルで北海道型の特徴は表現できるのではないかと思います。

それでは以降、写真を用いて各部の紹介をさせていただきます。

冒頭の写真とは反対側から見た全景です
先頭部はC57 135に倣い両側のデフを切り詰めて向かって右側に手すりを追加しました
ドーム前方のステップの手摺は小樽築港機関区のC62と同タイプの扇形形状のタイプとしました
キャブのタブレットキャッチャは北海道タイプを取り付けて運転室窓枠には帯板と真鍮線から自作したバタフライスクリーン(可動式)を追加. 前方の窓は旋回窓を取り付けずそのままとしました. 布巻管は当時福原金ぞ機から発売されていた真鍮線に帯板を巻いたパーツを使用しました
公式側キャブ下の分配弁は耐寒型を使用. 発電機の排気管は北海道に多かった排気口が本体付近にある(キャブまで延長されていない)タイプとししました
空気作用管は0.25㎜燐青銅線と真鍮帯板から自作し. 銅色の表現はハンブロールからの色差しで表現してあります. 作用管はコンプレッサ等各機器に向かう配管も追加しました
動輪は全体を黒染したのち輪心を塗装してあります、バルブギアはリターンクランクをロストワックス製に交換しラジアスロッドをその間に通し、その他のロッドは端部をフォーク状に加工.しました
ランボード状に継ぎ目を表現する筋彫りを追加しその周囲に真鍮線を植え込んでリベットを表現してあります
テンダーはキットをほぼそのまま組み立て,重油タンクは設けず標識灯はカタログより好みのタイプを選択し取り付け. カプラーはKeedee #6 を取り付けました
テンダー幅キャブ側端面には真鍮線から作成したコック、ブレーキハンドル、火かき棒、ATS配管等を追加してあります
テンダー床下にはATS車上子(エコーモデル製)を追加しました
モーターは付属のDH-13をアダチ製作所からDH-13の換装用として発売されていた缶モーターに変更.しました また端梁の部分に渦巻きチリトリを追加しました
ブレーキロッドは真鍮線と真鍮帯板から自作した端面がフォーク状になった部品と交換するとともに砂撒管を追加してあります

以前紹介させていただいたC62をはじめカツミ模型店製のキットは長年鉄道模型を製造しているメーカーの製品だけあって全体的に比較的堅牢な作りとなっており走行性能も追加した部品とのショートにさえ気をつければ特に調整せずとも良好な走行性能が得られます。特に今回はモーターをカンモーターに換装したため走行音も静かでテスト走行でも満足のいく結果が得られました。しかし思わぬ落とし穴がありました。当初計画していた通り、すでに製作済みの北海道の夜行急行、7両編成の真鍮製客車を牽引させようとしたところ、牽引力不足で動輪が空転し殆んど前に進まないのです。
前に製作したC62ニセコは7両編成の客車は平坦線で750Rのカーブを全く支障なく走行できたのですが、それは重連運転であったからのようで今回はそこを見落としていました。試しに今回C57牽引用に用意した編成をC62単機で牽引させようとするとC57よりは多少前に進むもののやはり牽引力不足は明らか(牽引不能)でした。そしてこの結果からこのC57に補重をしてこの編成を牽引させることは困難と判断し、潔く?ユーレイを追加することとしました。しかしC57用に用意した寝台急行編成編成の台車はTR47(スハフ44に使用)とTR50(10系客車に使用)です。これらの車両をユーレイとするならスハフ44のTR47をプレーン車軸のDT14に換装して動力車化をするしかないのですが他の編成のも使えそうな汎用性のあるスハフ44をユーレイ化するには抵抗があったため暫定的に当時手元にあった岡山模型店製のマニ37の台車をDT12に換装しそこに天賞堂のパワートラックWB31B2台を組み込むこととしました。このマニ37の制作時期は今回C57に牽引させることを計画した寝台急行編成やC57より10年近く前に製作したもので編成に組み込むと若干違和感がありますがそこは「暫定」ということで目を瞑り、改造はユーレイ化するのみとしてあり床板等下回りの再塗装も行いませんでした(タッチアップのみ)。

パワートラックを仕込んだマニ37.詳細は不明だが北海道のローカル急行にはパレット積載用のマニ37は運用されていなかったと思われる。

この対策により無事C57は寝台急行列車の牽引が可能となりました。しかし製作から30年以上経過した現在もこの編成用に当時急行列車に使用されていた荷物車(マニ36・スユニ61等)のユーレイは製作しておりません。C57がこの寝台急行を短期で牽引できないのはどうしようもない事実なのですがユーレイの追加はなんとなく気が進まないままその後レイアウト製作を始めてしまったためそのままとなってしまっているのが現状です。
そしてこの機関車製作後、30年近い中断を経てC59が牽引する東海道線の夜行急行編成を制作した際に、そこでも同じ失敗を繰り返すことのなるのですがそれについては後日それらの車両を紹介する機会があればそこで述べたいと思います。余談ですが最近の真鍮製蒸気機関車の完成品は1台数十万するものが多いようですが、これらの機関車の牽引力はどの程度のものなのでしょうか。米国のModel Roader誌のHO製品の紹介記事には機関車の重量と市販の客車(貨車)の牽引テストの結果が記載されています。またメルクリンが発行する最近のMärklin insider誌には社内のQA部門による牽引力テストに関する記事が掲載されていました(実物の使用に対応した基準を設定してテストしているようです)。しかし日本の鉄道模型雑誌の製品紹介欄にはプラ製品も含めてその製品に対する数値的な仕様は皆無と言っていいほどありませんしメーカーからデータが公開されているという話もききません。外国の状況をほめる(日本を卑下する)わけではないのですが、やはり製品のDCC普及率から見ても日本の模型は運転して楽しむより至近距離から見て楽しむことに偏っているような気がするのは私だけでしょうか。